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カテゴリ:奈良の歴史と文化
奈良.興福寺.阿修羅像(国宝)
興福寺の国宝特別公開2010ということで、五重塔初層と東金堂後堂、生まれ変わった国宝館の公開です。五重塔の初層などは厳しく写真禁止なので、興福寺では最も有名になりました国宝館(もと食堂)の阿修羅像についてご紹介します。 興福寺は奈良時代、平安時代に全盛を極めた藤原氏の氏寺です。 そのためもあり仏像のほとんどは国宝です。 飛鳥の山田寺講堂から移された薬師如来の頭部(銅造仏頭.国宝)もあります。 大らかですがすがしいお顔の白鳳仏の傑作です。 そのほかにも北円堂の四天王像は大安寺から移されたもので国宝です。興福寺の権力の大きかったことを物語る仏像です。 さて、阿修羅像ですが、東京、九州などの展覧会に出張し、今や知らない人はない人気ナンバーワンの仏像です。 現在は、新装なった国宝館にありますが、もともとは西金堂にあったのです。東金堂は現存し国宝ですが、西金堂は跡だけです。 中金堂は現在再建中で素晴らしい柱が立ち並んでいるところで、2015年完成予定です。 西金堂は阿修羅を含む八部衆や十大弟子が会していたところです。 西金堂は天平5年(733)に亡くなった橘美千代の一周忌の天平6年1月11日に、娘の光明皇后によって建立されました。 橘美千代は藤原不比等の妻であり熱心な仏教信者でした。 西金堂の群像のうち、現在では八部衆8体と十大弟子のうちの6体と金鼓のみが残っています。 阿修羅像は八部衆の一人なのです。 阿修羅立像.国宝.脱活乾漆造 像高:153.4cm 阿修羅像は3つの顔に6つの腕があります。 阿修羅はインド神話の神です。 魅力的なのは何といってもその表情です。 阿修羅は特定のものに視線を向けてはいない。憂いを含んだ眼差しはもっぱら自分に向けられている。ここでは阿修羅自身が懺悔の手本を見る者に示している。それは戦争を繰り返した自らの罪深い業を懺悔しているようです。その心の微妙な動きが厳粛で敬虔な表情を生んだのです。深く繊細な心理がこれほどまでに見事に表現された例はかってない。 阿修羅像がめざすのは前代の仏像の理想とも異なっている。 白鳳から天平初期の傑作である薬師寺金堂の薬師三尊像に見られるような、生命感に満ちたみずみずしい体の表現や、やわらかな体の動きなどを求めてはいない。追求するのはあくまでも繊細で複雑な心のあり方であり、美少年の清純さと敬虔さなのです。躍動する身体の美ではない。 このような美しい阿修羅像が見られるのは、明治時代の岡倉天心のおかげなのです。 岡倉天心はアメリカの東洋美術研究家.フェノロサの通訳となったことがきっかけで、このような歴史を代表する文化財の保護に尽力しています。 日本美術院設立は岡倉天心なのです。 法隆寺夢殿で、聖徳太子等身像とされる救世観音像が封印されていた重い厨子の扉を開けたのもこの二人です。 (注) 八部衆とは もとはインドの異教の神々で、獣神や戦闘神、歌舞音曲の神、悪鬼だったものが、釈迦に教化されて、仏法の守護神となった。 天(デーバ)、竜(ナージャ)、夜叉(ヤクシャ)、乾闥婆(ガンダルバ)、阿修羅(アスラ)、迦楼羅(ガルダ)、緊那羅(キンナラ)、摩?羅迦(マホーラガ)の八神。
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