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私的に主宰する勉強会「政策懇談会」を開催。
今回は、東京財団研究員兼政策プロデューサーの三原岳氏から、「医療・介護改革について考える」とのテーマでプレゼンいただき、ディスカッションいたしました。 <プレゼンの概要>(文責・高田) ・医療・介護については様々な「都市伝説」がある。「診療報酬、介護報酬を引き上げれば、利用者の満足度は上がる」「医療現場の疲弊や医師不足が原因であり、医師を増やせば問題は解決する」「救急医療の疲弊についても体制整備で対応すれば問題解決する」「現場の問題を解決するため、診療報酬や介護報酬で誘導するべきだ」「メタボ対策など健康づくりで、医療費は下がる」「介護職の離職率が高いのは給与が低いためであり、政府が引き上げるべきだ」など。しかし、これらの主張がすべて正しいとは言い切れないし、幾つかには疑問を持っている。 ・医療・介護は、政策担当者や、サービス提供者の視点で語られることが多いが、ここでは、利用者と納税者の視点で考えてみたい。 ・日本の医療・介護の特徴は、社会保険方式を採用しつつ、国民皆保険制度(介護保険は40歳以上)により、国民全員が加入を義務付けられていること。したがって、国民は必ず保険料を負担している。 ・医療・介護は「不思議なレストラン」であり、注文する人、お金を払う人、料理する人が皆違う。つまり、患者・利用者と保険者に加えて、提供者が介在するため、医療・介護は供給体制をどうするかという視点が必要になる。ここは年金など他の社会保険と異なる。 ・少子高齢化が進む中、社会保障給付費はGDPの伸び率を上回って増加しており、その多くが借金として後世代に付け回しされている。 ・日本の医療の質は、WHOでも世界一の評価を受けており、プロの世界では高く評価されている。 ・しかし、利用者の立場からは、必ずしもそこまでの満足感がない。一つの問題は、サービスが細分化されすぎており、患者が病院や医者を選ばなければならないこと。本来、継続的かつ全人的なケアをできる人が必要。 ・制度が縦割りで、複雑化しすぎている。役所は、問題が起きるたびに、新しい制度を継ぎ足して対応しがちであり、それが複雑化につながっている。 ・政府は、現在、医療・介護総合推進法案を国会に提出している。自宅や地域で医療と介護を一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の確立を目指している。 ・しかし、医療・介護のサービス提供体制は、細かく専門化され、縦割りで使いにくい。自治体の権限も医療・介護でばらばらになっている。ケアマネジャーと主治医の連携も不十分といった問題がある。 ・患者側の「代理人」が不在。臓器・疾病別に専門医が細分化され、全人的なケアを提供してくれる医師が少ない。 ・イギリスやオランダなど欧州諸国では、GP(General Practitioner)と呼ばれる家庭医が、健康課題の90%に対応。患者に対して全人的・継続的なケアを提供し、必要に応じて専門医を紹介する。 ・GPは患者の「代理人」として、オフィスルームのようなリラックスした雰囲気の部屋で患者と対話する。医学的な不安だけではなく、生活面の不安にも対処する。例えば、患者が頭痛を理由にCTを希望したら、いわれるままに提供するのではなく、頭痛が命に影響する重大な疾患ではないことを確認した上で、なぜCTを欲しているか、その不安を聞き出す。そうすると、例えば「自分の父親が脳梗塞で死んでおり、その時の症状に似ているような気がする」といった不安を引き出し、それに対して医学的なエビデンスを用いながら説明して不安を解消する。さらに、頭痛がストレス性と判断した場合、ストレスを生む他の原因(例えば職場の悩み、育児の不安など)による不安を引き出し、その解決策を患者と一緒に考える。 ・原則としてGPの紹介がなければ大きな病院で受診できない。すなわち、GPはゲートキーパーとして機能しており、患者の代理人であると同時に、不要な医療を制限する「国家の代理人」でもある。 ・電子カルテがほぼ全国で統一的に運用されており、その患者が受けてきた治療などがすぐわかるようになっている。 ・日本でも1980年代に、イギリスのGPに近い「家庭医」の導入が提言されたことがあったが、医療費抑制に繋がりかねないという不安から「家庭医」という概念に日本医師会が強く反対し、その後、「かかりつけ医」という言葉に置き換えられた経緯がある。こうした経緯の結果、プライマリ・ケアを担う専門職の育成が遅れてしまった。 ・日本では専門医が高度に細分化され、例えば膝を見る医師は、膝しか見ない。「人」を見ていない。 ・昨年の社会保障制度改革国民会議報告書では、「総合診療医」の養成が提言されている。総合診療医は、かかりつけ医とは異なり、他の専門医や職種とも連携しながら、患者への全人的かつ継続的なケアを提供するものとされている。 ・介護職員については、政治的な働きかけで給与の引上げがなされてきたが、介護職が離職する理由としては、給与よりもむしろ職場の環境が上位となっている。給与アップだけが事態の解決になるか疑問。 ・医療・介護は年金と違って、金の問題だけではなく、提供体制の問題。部分最適ではなく全体最適の政策が必要。 ・医療費抑制のため、予防としてメタボ健診を奨励し、メタボ健診の受診率が高い組合には後期高齢者支援金を軽減するなどインセンティブを与えている。しかし、データで見ると、予防・保健事業が医療費に与えるインパクトは不明。むしろ、都道府県別の医療費地域差を説明するのは病床数。 ・医療機関の投資が需要を誘発するという、医療需要誘発仮説が成り立つ。医療の必要性を判断する人と、内容を決める人、医療を提供する人が全て同じという問題がある。医療機関の投資を抑制することが必要。 ・医療・介護は社会保険方式により運営されている。その基本は「保険原理」であり、排除の原理(お金を払っていない人をサービスから排除する)、対価関係を特徴とする。ただし、社会保険の場合、弱者を救済する「扶助原理」も組み合わせられており、この両立は意外と難しい。例えば、金持ちが「国家のお世話にならないので、社会保険を払いたくない」と主張しても、社会保険からの離脱を認めていないのは「扶助の原理」に反するため。経済的・健康的に恵まれない人だけが保険に入ったら保険が成立しなくなる。 ・税方式による社会扶助と異なり、社会保険においては負担と給付の関係が明確。したがって本来、被保険者による自治が発揮されやすい仕組み。 ・だが、パッチワーク的な政策の積み重ねによる制度の複雑化によって、負担と給付の関係が不明確になり、中央集権的な裁量行政とあいまって、自治が働きにくくなっている。 ・出来高払いの報酬制度では、過剰診療に陥るおそれがあるが、包括払いだと、逆に過少診療に陥るおそれがある。患者・利用者の満足度を高めつつ、医療費を抑制するインセンティブをどのようにつけるかが課題。 ・報酬制度は各国によって異なり、ベストな選択肢はないが、イギリスでは、人頭払いに成績払いを組み合わせている。人頭払いは診療所に登録された人口の数で配分しており、以前と違って住民が近所の診療所から選べるようになった。 ・一方、電子カルテで健康データを総合化し、診療所ごとの質や成果を可視化するだけでなく、その成績に応じて報酬を増減させている。さらに、データは公開されており、患者は診療所を選ぶ際に参考にできる。こうしたデータ整備と成績払いを通じて、患者満足度や医療の質向上、過少診療の防止に貢献しており、患者に選択肢と自己決定権を与えることがプライマリ・ケアにおいて重要。 (ディスカッションの概要は翌日のブログをご覧下さい) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 4, 2014 07:10:35 AM
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