カテゴリ:八王子城
高尾駅の北西約3キロの城山に残る山城の遺構で国の指定遺跡となっている。城は 永禄年間に滝山城主北条氏照により築かれた。八王子城の築城は天正6年(1578)前後から本格的に開始されたのではないかと思われる。
この時期は一般に城郭が平城化する時期とされ丘山城の滝山城から時代に逆行する山城である八王子城に移った氏照の意図は謎とされている部分も多い。 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めが始まると、氏照は小田原城に籠城 したために八王子城は城主不在のまま、豊臣の前田利家、上杉景勝の連合軍1万5 000もの包囲を受けた。 城を守る北条は、重臣の中山勘解由家範、横地監物らを主将とする1000名余り。 6月23日の戦闘で壮烈な最後を遂げ城は1日で落城 するが、そのすさまじい戦いぶりは寄せ手の大将前田利家を驚愕させたと言われている。 南東麓の御殿谷川の左岸上には、土塁で囲まれた御主殿跡が残り、南には落城の際、城中の婦女子が身を投じて果てたというご主殿の滝がある八王子城は1日で落城したのは事実だが、伝えられる落城記には、いまだに謎の部分が多いとされている。 というのも敗者の記録がほとんどないためだ。伝えられるものはほとんどが勝者の武勇伝であり、これは攻撃側の戦死者が守備側を上回る大激戦であったからだという説もある。 八王子城側と言えば、残っているのは大半が伝説や怪奇な話であり、まさに謎は謎を呼ぶというところかもしれない。今でもTVの心霊スポットとしても紹介が後を絶たないのは、うなずけるところだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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