テーマ:道徳。(180)
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考えるよりも動くこと。
これは少し一家言あります。 私は体験や経験なんてものはただの最終確認で良いと思っております。 人は生き物が持てる最上級の想像力を持っています。 考える意志のない行動は、 下手な考えよりも遥かに意義が無いと思っています。 行動することによって初めて知り得る事なんてごく僅かです。 一考し、行動に移すことはとても大事です。 過ちを犯すのが人間ですが、 それを減らす努力をしなくても良いという事ではありません。 私はこのような論理的な思考を持っていて、 日々様々な場所で相応の対応をされてきました。 言うなれば生意気なガキ、でしょうか。 一言理論的な会話をすれば、すぐさま経験論で対応されてしまいます。 では、阪神大震災を経験してしまった方々全て、今後の防災対策は完璧で、 逆に経験していない人がいくら防災対策をしていても、 それは机上の空論であり、経験された方の行為が至上とされるべきでしょうか。 では、京阪神にお住まいの大半の方は個人レベルにおいて 防災対策は何もされていませんので「しない事」が良き事なのでしょうか。 逆もまた真なり。 一考の無い行動も、行動のない一考も、 無意味です。 例え体験しようとも、意識が無ければ意味が無く、 体験しなくとも、意識があれば有意義です。 人それぞれの価値観があり、私も例外ではありません。 出来る限り意識を持ち、出来る限り思考し、出来る限りミスの可能性を減らし、 その上で体験に挑みます。 使わない想像力は無意味ですが、想像力の結果、行動を伴わない事は、 人が生きていく上で往々にして経験します。 人は人を殺さなければ、殺す害悪が解らないのでしょうか。 戦争を経験しなければ、平和を語ることは出来ないのでしょうか。 殺人犯の発言がもっとも説得力があるのでしょうか。 平和ボケの日本人は戦争の悲惨さを理解することは叶わないのでしょうか。 その部分をご理解いただき、 経験至上主義の論理を控えていただけるとありがたく思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.04.23 08:20:11
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