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このことわざはよく耳にする言葉ですが、情けは他人の為にかけるのではなくて、のちのちめぐりめぐって自分にも返ってくるものですよ。という意味ですね。
情けは他人のためではなくて自分のためなんですよ。ということわざです。 時々こんなことを思いながら、自分は人に対して優しい人間であろうかと振り返ってみるのですが、これがなかなか難しい。 最終的には自分中心の利己主義を覆い隠すために、いろいろ画策して表面上だけを繕うというのが日々の毎日なんですが、純粋に人のためを思ってやった行為が、全く逆に受け止められたり、それで今度は自分が頭に来たり怒ったり、結局は自分の思いが伝わらなかったと憤慨するのはいわば自分中心的な考えになるわけで・・・ 競輪も当たった時はやったとばかりに自分の予想を賛美したりするものですが、選手がよく走ってくれたと感謝するのは少しばかり。 逆に外れたときは全部選手が悪い。笑 私は外れたときは自分の予想が甘かったんだと、選手を責めるようなことはあまりないのですが、さすがに落車や失格は選手や審判に当たりたくなります。 車券が当たれば微差やタイヤ差などは関係なし。外れるとその差が悔しいのなんのって。 自分勝手といえば自分勝手ですが、もう少し情けをかけたほうがいいのでしょうか 笑 また次の機会に頑張ってくれれば・・みたいに・・・ 随分情けはかけてきたつもりなんですが、なかなかその恩恵には・・・ 時々返してもらうこともあるのですが、私が払った分よりも少ないような気がします。笑 戻りが少ないというのは世の常なんでしょうが、競輪というのは25パーセントが最初から差し引かれますが、情けというのはプラマイゼロにはなるのでしょうかねえ。 それとも情けもどこかに25パーセントほど取られてしまうのでしょうか。 いろいろ日常の中で情けはかけているつもりなんですが、どうもマイナスのイメージが強い。 これから先、年金のごとく細々と返って来たりするのでしょうか。 ほうきゅうさんのブログにあった 「恩は着せるものではなくて着るもの」と言う言葉ですが、時々「恩を仇で返す」なんてのもあります。 これは差し引きぼろ儲けみたいな感じになるのですが、競輪の場合は差し詰め恩を仇で返してみたい。笑 確かに自分の人生、随分恩を着たような気がする。そろそろ取り立て屋が来ているのかもしれませんが、人に着せるほど立派なものは持っていないし、今まで来たものを脱いでというわけにもいかないような・・・ 競輪で随分返したつもりなんですが、利息とかも付いているのでしょうかねえ。 うーん ちょっぴり寂しい思いで考えると・・・親父には全然返していないような気がする 恩は受けるだけ受けて、返す間もなくいなくなりましたから、今更しょうがないですが、子供へ子供へと順送りでいいのでしょうか。 しかし、子供にもそんなに着せてないような・・・笑 情けは人の為ならず・・・まあ、返ってくることを期待してはいけないという意味に捉えましょう。 時々哲学的になったりもします。 久々に思い出しました。昔はこんな事も書いていたような気がします。 自慢じゃないですが、高校の時の倫理社会、毎度100点だったのですぞ、先生との相性もよかったのか、とにかく試験の時になると頭の中が長文設定になってしまって裏までビッシリいろいろ書いたものですから、読むのが辛くて100点だったのかもしれませんがね。 まあいいか。 情けは人の為ならず・・・今日はこればかりですが・・・ そんな出来事があったものですから、自分に言い聞かせて心を落ち着かせています。 この野郎・バカ野郎・・といいたい気持ちを抑えて、情けは人の為ならず・・・ 返って来る事を期待してはいけない・・恩は着るもの・・・・着せてはいけない。 情けは人の為ならず・・・・ 南無阿弥陀仏・・南無阿弥陀仏・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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