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A Happy Hunter - 難病ALSなんかに負けないもん

A Happy Hunter - 難病ALSなんかに負けないもん

発症~告知まで


42歳の春になり、相変わらずのダルさが益々酷くなっていた。

6月になると以前から具合が悪かった子宮内膜症が悪化している気がしたので、久し振りに婦人科へ行った。

子宮筋腫、子宮腺筋症も併発していることが分かり、子宮体癌の検査を強く勧められて何度か通院する。

体癌検査は異常がなかったが、、その婦人科で測っていた血圧が毎回180/120前後の高血圧だということが判明。

すぐに内科を受診するように勧められるが、なかなか行けずにそのままにしてしまう。

8月になると打ち合わせの仕事にも支障が出てくるようになった。

1日かけて打ち合わせをする仕事の時は、午前中はいつもの調子でしゃべれているのに、午後になると声を出すと空気が抜けるような感じで声が出せなくなったり、呂律が回らなくなって何度も同じことを言い直さないといけないようになる。

打ち合わせ後にサンプル類を片付けていると、以前の倍以上の時間が掛ってしまい、今まで力仕事には自信があったのに重たいサンプルを棚の上に載せられなくなってしまうようになった。

高血圧を放っておいたせいだと思い込んでいたので、慌てて婦人科で勧められていた内科を受診。

そこのドクターが「急激にこんなに血圧が高くなることはありえない。他に原因があると思う。」というので、しばらくの間通院で検査をすることになった。

その一週間後の2回目の通院の朝、支度をしていて手の指の強張りに気付いた。

そのことをドクターに告げると「リュウマチ系」の病気かもしれないということで、更に検査をしていくが異常が見つからない。

次の週には血圧が更に200/140位まで上がってしまい、身体も限界に来ていて待合室で待っている間に具合が悪くなったり、診察中に具合が悪くなって倒れたりしていた。

手の指から始まった強張りは、足の指先→手首→肘→足首→ふくらはぎ・・・とどんどん広がっていき、通院1カ月が経った時には右足を軽く引きずってあるいていた(らしい)。

頭痛を診てもらうために同じ病院内の脳神経外科のドクターの所へいき、筋肉の強張りを取る「ミオナール」と軽い精神安定剤を処方してもらった。

頭痛は治ったが、呼吸困難の症状が出たため慌てて受診する。

そこでそのドクターがした検査から初めて「神経疾患の疑いがある」ことを知った。

その病院に神経内科が無かったので、とりあえずホームドクターに相談にいくことに。

そのホームドクターからの紹介で、その日の内に今も通院している神経内科クリニックに初めていくことになる。

夕方診療時間ギリギリに到着したクリニックで診察を受け、その場で「2年位で亡くなってしまう病気かもしれない」「神経の難病の疑い」と言われ、すぐに大学病院に検査にいくように言われた。

9月初めに紹介状を持って大学病院へ行き、中旬に検査入院することになった。

入院した時はちょっと歩くと動悸・息切れ・血圧の急上昇が酷かったけど、右足を引きずる位で何とか歩けたいた。

歩くことというより立ったり座ったりしていることがすでに限界に近かったらしく、危ないからと言われて車椅子を使い始めたとたん急激に歩くことが出来なくなってきた。

無理矢理頑張って歩いたり身体を動かしたりすると痙攣が起きるようになり、痙攣発作の度にどんどん身体が動かなくなる。

入院までに自分なりに「2年位で亡くなってしまう病気」「神経の難病」というヒントから色々と調べていたら、自分の症状にあてはまるのは「ALS」しかないことを知ったけど、紹介状を取りに行った時に院長が言っていた「他の同じような病気かもしれないから」という言葉にすがるような想いで検査を受けていた。

入院している内にどんどん症状が進行していくし、大学病院の医師の対応も検査の内容もどう考えても「ALS」しか疑われていないことが分かってきて、2週間目に入った頃にはある程度自分でも覚悟を決めないといけないと考えた。

検査結果は全て異常無し。

筋電図の結果にも異常が見られないということで、「今のところ心因性でいいでしょう」と説明を受けた。

最初はすごくホッとしたけど、「今のところって?じゃあ身体が動かないのはどうすれば?」という質問に「症状は確かにアミトロの症状だけど、検査結果は今は異常が出てないので、後は経過を見て判断しないと分からない。このまま進行したらアミトロかもしれないけど、今はアミトロとは言えない。今出来ること(というか、アミトロと言われても)は、リハビリを頑張ることだけ。」と言われる。

確かに経過をみないと分からないのかもしれないけど、何も「心因性」って病名を付けることないんじゃないのと一瞬頭にきたが、でも本当に「心因性」なら治るってことだしそれの方が良いし、と思い直して退院することにした。

退院してすぐに神経内科クリニックの院長の元へいくと、約5週間振りに私の状態を診た院長があまりの進行の早さに驚いて、「すっごくごめんね・・・、やっぱりALSしかないかな~。」と告知を受ける。

次の日に診療時間外の時間を空けていただき、3時間以上かけて特定疾患の申請書の書類や身体障害者手帳の申請書、介護保険の書類等を全部作ってもらう。

その間に院長が「他の病気が見つかったらいいのにね・・・。」「でもやっぱりALSしか考えられないんだよね~。本当にごめんね~」と何度も言うので、却ってこちらが恐縮してしまう程だった。

これでこの病気だと決まってしまったというショックと、何の病気だったのかがようやく分かったという安堵感が入り混じって、なんとも言いようのない感情が湧きあがってきた。





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