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カテゴリ:’12ドラマ
「わが都、福原」 第35回の視聴率は、前回の11.1%より少し下がって、10.5%(関東地区)でした。 第1~35回までの平均は12.9%で、全回平均でこれまで最低だった1994年に放送された『花の乱』の14.1%を大幅に下回っているそうです。(スポニチより) 最近、よく『花の乱』と比較されるので、逆に、『花の乱』を見てみたい気もします(^^)
今回、清盛は出家し、時子もそれに従って出家し、福原に住む事にしました。 出家は隠居ではなく、もっと前向きな理由からでした。 福原は、今の神戸で、清盛が博多に負けない貿易港に開発してくれたんですね。 当時は、とても田舎でした。 清盛の弟で、唯一正室の子でありながら、出世から取り残されている頼盛が、今回、中心でした。 いい話でしたが、視聴率には結びつきませんでした(^^;)
1168(仁安3)年2月、清盛は死の淵から蘇りました。 清盛「賀茂川の水、双六の賽、山法師。我が意のままにしてみせようぞ」 そのために、清盛は出家する事にし、比叡山延暦寺を収める僧侶・明雲(腹筋善之介)を呼び、明雲の導きで出家したいと頼みました。 清盛「この頭を丸めていただきたく」 明雲「ご出家なさると?」 清盛「一度、死んだも同じ身。死んだ気で余生を過ごしたいと思いましてな」 明雲「何故、この私に?」 白河法皇も手に負えなかったという山法師と、今後は協力関係を築きたいからだと答えました。 2月11日、清盛は出家し、時子もそれに従って、出家しました。 平家は一蓮托生。夫婦もそうだからとの事でした。
清盛は一門の前で、出家した事を告げると共に、海に近い福原(神戸)に隠居する事を表明。 六波羅を重盛に任せると表明しました。
後白河上皇は、清盛のこの動きを警戒。 滋子との子・憲仁親王を高倉天皇として即位させ、自らの威信を示しました。 滋子が皇太后になった事で、平家内にも変化が生まれました。 滋子の姉・時子の子である宗盛が皇太后宮権大夫という要職につく一方で、同職にいた頼盛は辞任を余儀なくされました。 さらに、頼盛は滋子への奉仕を怠り、後白河上皇は清盛を呼びつけてその事を叱責しました。 清盛は頼盛を呼び、勤めを怠るなと、苦言を言いました。 重盛や宗盛、時忠は、既に参議ですが自分はまだなれず、それは保元の乱の折に清盛に背いたからではないかと、逆に、清盛に小言を言いました。 清盛はつまらぬ事を考えず、自分の仕事に励めと言いまいした。
時忠は、頼盛が正室の子だから、警戒して出世させないのではないか、なんて、宗盛に言いましたが、どうなのでしょうね? それを聞いた正室の子、宗盛はどう思ったでしょう?
その後も頼盛以外はどんどん出世して、頼盛は辛い毎日。 清盛の弟・教盛も正三位参議に任じられ、平家で5人目の公卿となりました。 平家は喜びに沸きました♪ 頼盛も「おめでとうござりまする」と言いましたが、内心、悔しかったでしょう。
その頼盛に藤原摂関家の摂政・基房(細川茂樹)や、以仁(もちひと)の母・八条院が接近し、頼盛を参議にしたいと伝えました。 同じ境遇だから、気持ちが分かるだろうと。 清盛が福原に移った今、平家の隙をつこうという人々にとって頼盛は利用すべき存在でした。 10月18日、頼盛は念願の参議になりましたが、約1ヶ月後の11月28日にはその官職を全て解かれてしまいました。 八条院に気遣い、滋子への奉仕を怠ってしまったようです。
その頃、福原に住む準備をしていた清盛は、福原に頼盛を呼びました。 頼盛は自分を平家から追い出してくれと訴えました。 すると清盛は、目の前に広がる海を見せ、自らの野望を語りました。
「頼盛、海が見えよう。 賀茂川の水もいずれは、あの海に流れ込む。 海を思いのままにできれば、それ即ち、賀茂川の水を思いのままにできるという事じゃ。 白河院でさえ、手を焼いた賀茂川の水をな。 頼盛、わしは博多を都の隣に持ってくる。 そして、時をおかずして、都を海近くに持ってくる。 我ら平家の都をな」 頼盛「平家の都?!」 「京におったのではいつまで経っても上皇様の手の平の上。 それゆえ、わしはその目の届かぬ福原に住まう。 そして、大輪田を博多のごとき場所にして、宋や高麗、果ては天竺、南国の産物を取引し、富を得る。 この富によって国を富ませる」 頼盛「それを・・・一門で行うという事でございますか?」 清盛「さようじゃ」 頼盛「朝廷ではなく、一門で?」 清盛「さようじゃ。 先例大事の朝廷の枠に捉われて国造りをしている暇はもはやない。 国の形を密かに作り上げ、それをこの国のあるべき姿であると示す。 それこそがわしの出した答え。 武士が頂に立つ世の姿じゃ」 (忠盛の回想)
清盛「頼盛、そなたは亡き父上と母上の残したたった一人の子じゃ。 平家を思う気持ち、一門の誰にも劣るまい。 父上の目指した世造りにそなたは断じて欠かせぬ。 頼盛、これより先も口うるそう一門を支えよ」
遂に、福原に移り住んだ本心を頼盛に話しました。 隠居どころか、かなり攻めの理由ですね(^^) 「武士の世。平家の世」、それは忠盛の夢でしたが叶えられず、清盛が遂にそれを実現しようと、具体的に動き始めました♪ こういうように頼まれては、頼盛も悪い気持ちはしなくて、協力してくれる事でしょう♪
これまで頼盛は可哀想でしたが・・・ 保元の乱の時、おじさん・忠正が池の禅尼に頼まれて、頼盛の代わりに敵方について犠牲になってしまったので、恨まれても仕方ないのでは?(^^;) 頼盛はともかく、演じていた西島さんは出番が多くて良かったですね♪(^^)
出番が多いといえば、北条時政(遠藤憲一)の娘・政子(杏)の出番も多かったです。 男勝りのお転婆娘だというのはよく分かりました(笑) 伊東祐親の二の舞にならないように、娘を早く嫁に出した方がいいのではと、時政は友人達に言われました。 息子が沢山いる友人もいましたが、イノシシを夕餉にと持ってきた政子を見て、嫁入りは断られてしまいました(笑)
一方、頼朝はまだ落ち込んだまま。 政子に物の怪と間違えられて、網にかけられてしまいました。 とんだ初対面ですね(^^;) 政子の方は、頼朝に一目惚れするかもしれませんが、頼朝はそれどころではないでしょうね(^^;) でも、ああいう明るいじゃじゃ馬だったら、明るくなれて、今の頼朝にはいいかも?
「いつ今日になったのだ? いつ昨日は終わった。 明日はいつ来る?」 なかなかの哲学者ですね♪ 頼朝のこの言葉、好きです♪(^^)
最後に、少し大きくなった義経が神木隆之介君に代わって、少しだけ顔見せしました。 神木君は以前の大河「義経」でも幼少期の義経を演じていて、同じ人が違うドラマで幼少期と成人で同じ役をやるのは極めて稀だそうです。 神木君の義経も楽しみです♪(^^)
【第35回粗筋】 (Yahoo TVより) 仁安3年、病からよみがえった清盛(松山ケンイチ)は出家する。清盛は福原に住むことを表明し、一門を驚かせる。後白河上皇(松田翔太)は、清盛の動きを警戒しつつも、わが子・憲仁を即位させ、平家との結びつきを強める。一方、伊豆では北条時政(遠藤憲一)の娘・政子(杏)が、わが子を失って絶望する源頼朝(岡田将生)とついに出会い、歴史が大きく動き始めようとしていた。
【視聴率推移とレビューリンク】 (視聴率は関東地区) [第1回]17.3% [第2回]17.8% [第3回]17.2% [第4回]17.5% [第5回]16.0% [第6回]13.3% [第7回]14.4% [第8回]15.0% [第9回]13.4% [第10回]14.7% [第11回]13.2% [第12回]12.6% [第13回]11.3% [第14回]13.7% [第15回]12.7% [第16回]11.3% [第17回]13.9% [第18回]13.5% [第19回]14.7% [第20回]11.8% [第21回]10.2% [第22回]11.0% [第23回]11.6% [第24回]12.1% [第25回]10.1% [第26回]13.2% [第27回]11.7% [第28回]11.2% [第29回]10.7% [第30回]11.4% [第31回]7.8% [第32回]10.7% [第33回]9.3% [第34回]11.1% [第35回]10.5% 第2~27回までは、第28回から飛んで下さい。32回以外は全部、レビューあります。
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