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カテゴリ:坂崎空也
気持ちは サッサ早く早く、霧子姉さんのところに行きなさい、神保小路に帰りなさい。だ
空也は彦根城下から奔りに奔った。疲れると道端の寺の軒先で、2時間ほどやすみ、また奔った。 宇治まで来て、腹が空いて飯屋で食事をとった。 そこで出会った馬子と京都の老舗のご隠居さん一行に誘われて、室生寺に行くことにし、途中で柳生心影流の本家に立ち寄り、数日稽古をして、室生寺にいき、そこが気に入り三七、二十一一日の修行をして、大台ヶ原に向かった。 大台ヶ原出身の寺の僧侶に送られて、彼が子供の頃に遊んだという、大きなヒノキの洞に寒さを凌ぐ衣類や履き物、食糧などを運び入れてもらった。季節は初冬、雪が降り続いていた。 とても寒かった。大台ヶ原は深い原生林、むやみに人は入る事はできない。空也は走り回り木刀を振るって修行をしていた。そうとう過酷な修行だ。 一日一食、夕方に食する。綿入や鹿の皮にくるまって寝て、夜中の2時ころから修行を始める。雪の中頑張る 日出ヶ岳に行くことにし、雪の中を奔る奔る雪の中に体を投げ出しながら奔る、 頂きで一面の雪原と山山の連なり、その向こうに見える熊野灘。あまりの壮大な眺めに息を呑み茫然とする空也。 後ろから声がかかった。「坂崎空也か?」と 空也との勝負をしたいと望んでいた、佐伯彦次郎だ。的確な情報収集で空也より先に日出ヶ岳に来て待っていた。 勝負を挑んできたけど、空也は薩摩拵えの木刀しかもっていなかったので、彦次郎は修理亮盛光での勝負を望んだ。空也は盛光をとりに檜の洞に戻り、再び日出ヶ岳に戻った。お決まりの問答を繰り返していたら、それを聞いていた、彦二郎の従者伴作爺さんは、この勝負の結果をさとっていた。勝負はきまった。 かなりの深傷を空也も負っていたけど、死にはすまい、と、勝負の場所を去り、姥捨に向かった。 途中傷の治療のため温泉宿に泊り、宿の婆さんから手当てをしてもらいながら、20日間ほど滞在し、姥捨に向かった。 空也はかなりの体力を消耗していた。竹の杖にすがりながら、紀伊の山々を越えた。そしてようやく姥捨の郷にたどりついた。 江戸神保小路では大人達があれこれ語り準備をしていた。 一番の心配は、速水さんの提案で、将軍家斉が空也を近習衆にしたがっているので、将軍に空也を取られないうちに、空也の身分をはっきり尚武館内外に知らしめなければならないとなり、磐音は決意した。という事だ。 空也はあと5日もすれば佃島に着くであろう。でおわり。 四年七ヶ月の修行が終わってやれやれなのだけれど、空也の心の中は晴れない。「剣術修行」とはなんぞや? 闘い命を落とした人達のことが重くのしかかっていた。21歳にして重い物を背負ってしまった。 磐音と空也の物語はとても面白かった。 佐伯泰英さんあと「磐音残日録」よろしくです。 81歳のお身体おいといいただきたいけど、次の話し楽しみにしております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/05/11 03:15:17 PM
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