変わる事への抵抗
JMAの中嶋先生から ヒプノを習ったとき「その先は誰も知らない 変わったことがないから、怖いよね、嫌だよね、だけど一歩進んだら そこは知らない自分が待っている」そう言われたことがある。過去は記憶がある 今 から先は? 誰も想像はできるかもしれないけど、知らない。今が厳しく辛くても その一歩を踏み出すことに躊躇する。あーじゃない こーじゃない と 頭がくるくる 今までのパターンのなかで走り回る そして 混乱 自分を見失う。変わることという 定義も それまでの 定義が幅をしめ そして変わることへのジャッジがはじまる。なぜ自分が変わらなくてはいけないのか?まで そんな思いまでもが走り出す。育ちも 生き方も違う 個性も 魂も違う そんな 関係性のなかで 我 というものをどうやって発揮していけばよいか?そんなことを考えただけでどんずまりのように思えてくる。中嶋先生のヒプノを受けたとき私は姑との関係性で泥沼にはまっていた。そこからどうにかして出たかった。仲間は お姑さんがこのようなセミナーを受けたらいいのに。などと言ってくれた。しかし、彼女は自分の生き方を変える人ではない。今でもそう。何年かいろいろ自分を見る作業をしてきて、私は本当にこの人とは違いすぎるのだということを発見した。私は彼女に会わせようとして 泥沼にはまっていった。私を見失っていたのだ。少し前 祇園でバーを開いていた女の人と話すことができた。その方とお話していて、花柳界の方には花柳界の常識というものがあって、その常識とは私には理解できないものだと痛感した。お姑さんは花柳界の人だったずっと 同じ接点がないだろうか?とそれでも性懲りもなく探していたのだが、どうも みつからない。見つからなくてもいいのだということを この女の方は教えてくださったように思える。私は私の生き方を探そう。無理矢理変えようとしていた 癖が私にある。嫁いだ家の色に染まろうとして 染まることができなかった。受け継ぐこともできない。それでいいのだと感じた。私は 自分の生を生きるために 変わることを選ぶそこには 私以外の人は関係ないように思える気づきをいっぱい くださった お姑に 感謝しようそう しよう・・・・・・