024601 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

磐余の丘より

磐余の丘より

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

啓二0621

啓二0621

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

Headline News

2010.06.15
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
役の優婆塞(えんのうばそこ~役の小角)と呼ばれた半僧半俗の僧は、賀茂の役公(えんのきみ)のことであり、いまの高賀茂(たかかも)の朝臣(あそん)の祖先に当たる人で、大和国葛城上郡(かつらぎかみごおり=御所市の周辺)の茅原(ちはら)に居住していた人でした。
この人は生来の賢明・博学で、近郷第一の賢者として知られていました。仏法を崇め信じて、毎日修行を欠かしませんでした。この僧の願いとしては、いつかは五色の雲に乗り、果てしない大空の外に飛び出し、仙人の宮殿で客人の仙人たちと一緒になって百花が咲き乱れる永遠の花園で遊び、体力や気力を養う霞などを食べたりして暮らすことでした。
このことから、そろそろ晩年に差しかかる四十余歳となっても、まだ岩屋に住みつづけていました。そして葛(かずら)で織ったそまつな着物を身にまとい、松の葉を食べつつ、清らかな水の湧き出る泉の水で身を清めて、さまざまな欲望の垢を払い落とし、ついには「孔雀経」(孔雀明王の神呪を説いた経典)の呪法を習得し、不思議な霊力を現わす術を身につけることとなりました。また、鬼神を使いこなして、どのようなことでも自由・自在にできるようになりました。
ある日のこと、大勢の鬼神たちを呼び寄せ、これらの鬼神たちに向かって、
「大和国の吉野の金峯山と葛城山とのあいだ(約三十キロの距離)に橋をかけて繋ぎ合わせよ」と命じました。これを聞かされた鬼神たちはホトホト困り果ててしまいました。
そこで藤原京で天下を治めておられた文武天皇の御代のこと、葛城山に住む一言主(ひとことぬし)の大神がある人間の口を借りて、
「役の優婆塞は、天皇を滅ぼそうとする陰謀を企んでいます」という中傷を朝廷へ訴え出ました。この訴えを聞かれた天皇は、さっそく役人を遣わして優婆塞を捕らえようとされました。けれども彼のたくましい霊力によって容易に捕まえることはできませんでした。そこで仕方なく、彼の母親を捕らえることにしました。母を捕らえられた優婆塞は、母を許してもらいたいがため自ら出頭してきて捕まりました。
そこで朝廷は、すぐさま彼を伊豆の大島へ島流しの刑にされました。
伊豆での優婆塞は、ときには自分の身体を海に浮かべてみたり、あたかも陸上を走るかのように海の上を走ってみたり、また、ときには万丈の高山に身を置いてみて、そこから大空を駆け回るようすは、さながら鳳凰(ほうおう)が羽ばたいているかのように見えました。このように日を過ごしながらも、昼は勅命に従って島内にいて修行を続けていましたが、夜になると駿河国の富士山まで飛んで行き、そこで修行をすることにしておりました。
その一方で優婆塞は、このひどい刑を免れて一日も早く都の近くへ戻りたいと願い出ていましたが、
一言主の再度の讒奏(ざんそう~事実と異なり相手を陥れるために奏上すること)によってこの願いは却下されたため、優婆塞は再び富士山へ戻ることにしました。
 こうして島に流されて三年の年月が流れました。このころ朝廷の特別の赦免が行われ、大宝元年(七〇一年)の正月に優婆塞は大和への帰国が許され、都の近くまで帰ってくると俄かに仙人となって空高く飛び去ってしまいました。
 わが国の僧、道照法師が天皇の命を受けて仏法を求めて唐へ渡りました。あるとき法師は五〇〇匹の虎の招聘を受けて新羅の国へと出かけ、その国の山中で講義をされましたが、そのとき聴講しているもののなかから日本語で質問をしてくる者がいました。そこで法師が「そなたは誰だ」と訊ねますと、「役の優婆塞」と申しました。そこで法師は「さてはわが国の聖がきているのか」と思ったため、すぐさま高座を下りて声の主を探されましたが、どうしても見つかりませんでした。
 また、あの嘘の中傷をした一言主の大神は、その後、役の行者の報復の呪縛を受けたのですが、今に到るもその呪縛は解けないままでいます。この役の優婆塞のさまざまな霊験のかずは、あまりにも多いためとても書き尽くせません。そこで仕方なく、そのすべてを省略することにします。
 ともかく仏法の威力というのは、いかに広大無辺なものであるかは、よくわかるでしょう。仏法に深く帰依し、これを信じ切った人には、いつの日にか、こうした術も体得できるのだということを実証しているのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.06.15 10:44:14
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.