「政治主導」の行く先
明日は臨時国会も最終日だ。会期延長したものの、いったい今国会は何がどう議論されていたのか、さほど印象がない。それほど「事業仕分け」のニュースが話題をさらっていたのだろう。 世論調査でも「無駄が表に出てきた」とか「天下りの実態などにメスを入れた」といった理由でなかなか支持されているようだが、私にはどうにも拭えない違和感を感じていた。 「そもそもどういう基準で仕分け対象に選ばれたのか」とか「廃止や減額といった判定の基準がわからない」とか「民間人の仕分け人はどういう基準で選ばれたのか」といった疑問を書いているブログも多数見られるが、私はそれに加えて、そもそも来年度予算の各省庁概算要求も「政治主導」で決めたはずではなかったのか、と質したい。 これは各省庁のホームページにアップされている大臣や副大臣、政務官といったいわゆる「政務三役」の記者会見要旨を見れば、「最終的に政務三役で協議をしてぎりぎりまで削った概算要求だ」といった趣旨の発言が記載されている。 その政治主導の「ぎりぎり」の結果を行政刷新会議の仕分けチームがまたも査定したわけだ。なぜ、概算要求として出す前に政務三役はきっちり査定しなかったのか。民主党が主張する「政治主導」とはいったいなんなのだろうか。どうにも違和感が拭えない。 各省庁に入った大臣以下政務三役こそ「無駄」だという皮肉ならばいざ知らず、これでは「政務三役」は機能していないという烙印を押したかのようだ。 しかも民主党は党として政策要求を内閣に出すという。その中には例のノーベル賞受賞学者から大いに批判を浴びた科学技術予算の復活などが盛り込まれているという。 確か民主党は、与党と政府は一体だと主張していたのではなかったか。その結果民主党には党独自の政策協議機関は置かれておらず各省庁単位の政策会議が議員が政策論議をする唯一の場になっていたのではなかったか。 選挙前からこれまでの政府と党の関係性の説明からは、この要求の有効性やその決定に至る議論の経緯といったこともどうにもわかり難い。 そもそも事業仕分けは地方自治体で行われていた手法だ。 二元代表制の地方自治体では、予算案の提出権は首長にあって、議会は予算案が提出されるまでその中身にかかわることは正式にはできない。 また、予算組み換えなどは、その手続きや予算書細部にわたる整合性など議論すべきは多岐にわたり予算案が上程された後の組み換えはなかなか現実的ではない。 また、首長の意思とは別に議会の意思として組み換えが議決されたとしても、首長には拒否権とも言える「再議権」の発動があり、議会の意思に反しても首長は強行することも可能だ。 事業仕分けという手法は、直接選挙で選ばれた首長が議会や役人組織に対抗するために、きわめて有効だ、といえる。 ところが一元代表制である国は、予算案の提出権は憲法の規定で内閣にのみ与えられていると解釈できるが、国会議員が内閣総理大臣という行政の最高責任者となり、各省庁の大臣を任命して内閣を組織する。国会に議席を持たない民間人が大臣となっても内閣総理大臣の強い影響下にある。 立法府に属する国会議員が行政の長の内閣総理大臣となって予算案を提出するのだから、二元代表制である地方自治体とは根本的に異なる制度であるとおのずと理解される。 つまり、予算の概算要求策定段階から、国会議員は大きくかかわることができるはずで、自公前政権とは異なる政治主導だ、というのならば、概算要求前に当たり前に政務三役と党が事業仕分けをやるべきではなかったか。 これこそ大いなる「無駄」だったように感じてならない。 それともうひとつ、なぜ、政党助成金や各議員に支給される「文書通信費」は検討の対象にならなかったのか。各省庁の執行予算と同じ様に議論すべきだったのではなかったか。ここも、特殊法人への補助金と同じ性質の無駄があるように感じている。 「文書通信費」は衆参国会議員あわせて722人×毎月100万円×12ヶ月で年間総額86億6400万円となる。一体何に使われているのだろうか。領収書の要らない金だ。