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カテゴリ:レポート・宿題関係のネタ
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為度群生彰一心(いどぐんじょうしょういっしん) 詠み方:群生(ぐんじょう)を度(ど)せんが為(ため)に一心(いっしん)を彰(あらわ)す 意訳:ただ一心の救いかな 参考文献:『正信偈の意訳と解説』高木昭良 前文に『広由本願力回向(こうゆほんがんりきえこう)』とあり、合わせて読むと、 広く本願力の回向に由(よ)りて、群生を度せんが為に一心を彰す。 となる。 「由りて」の由りというのは、常用外の原因・理由の「よる」という意味で使われている。 意訳は、 「本願他力の回向によって、一切の人々を救わんがために、一心に帰命することを明かされた。」 となる。 参考文献によると、広大無碍の一心を開顕するところにあって、一心というのは、如来他力回向の一心をさすもので、それが論主の信心にほかならないことは言うまでもない。 ということが記載されていた。 私はこの世界は他力でのみ成り立っていることを実感していることもあり、受け入れやすい文面であった。 他力に対して多くの人が誤解した解釈を持っているが、他力は他人任せや、自分の努力が報われないと思う人が多いようだが、それは大きな誤解である。 他力とは全てのきっかけを作った導きである。 以前にも書いたかもしれないが、どんな人も自力で目標を達成しようと努力したと勘違いされているが、実際にはその努力をする過程でどうしてそのように思ったのかを考えると何らかの影響を受けていることは確実である。 例えば、この時期だと受験を控えている学生もいるだろう。 その受験生が何故、志望校や志望の職業を目指したのかということを考えた場合、自分で決めた人ですらも、憧れる何かを持ったからに間違いない。それは自分の力で憧れる何かを作ったわけではなく、他人や外部の影響を受けての決意に他ならない。 これこそが、他力なのである。 もちろん、自分で決めなかった人も親なり周りの意見を取り入れて目標にしたのなら、当然他力である。 仏教で言う他力は、決して他力本願として一般に知られる他人任せのことではなく、自力の反対の語としての他力である。 一心は、南無阿弥陀仏と唱える親鸞聖人の言われた「ただ念仏」に他ならない。 浄土真宗を学ぶ、身をおく者として正しい知識を獲得しつつ、「成る程」と思った一瞬を大切にしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月30日 13時50分01秒
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