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マスコミに載らない海外ニュース 11月14日
上記文抜粋 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ベトナム戦争を終わらせたのは徴兵制度だったというのが世間一般の通念だ。この説明によると、徴兵されることになっていた臆病な大学生達と、愛国心のない両親達が、戦争を無理やり終わらせたのだ。これはカール・マルクス流の説明だ。空虚な道徳ではなしに、物質的関心が、戦争を終わらせたのだと言われている。 今どきでは、アメリカに、時として、戦争を道徳的な観点から見るまがりなりの独立メディアが存在したという事実は、無視されている。例えば、あのナパーム弾の炎に、恐怖で道路を走って行く裸の幼い少女の画像が、戦争に対する道徳的反対を目覚めさせるのに無力だったと確信して言えるだろうか? 戦争の終結をもたらしたのは、目覚めた道徳的良心ではなく、自分たちの命や、手足を失うことを恐れた大学生達だったと、私たちは確信して言えるだろうか? もし我々が、戦争の終結を、物質的関心に帰してしまえば、戦争を終結させることも、戦争そのもの同様、下劣なものに見えてしまう。 ところが、事実上、あらゆる保守派の評論家、解説者、記者や政治家、現在の反戦抗議者達、明らかにペンタゴンも、中・上流階級の両親のもとに帰国する死体袋のおかげで、徴兵制度は、アメリカ人の戦争容認を、引き下げると信じている。明らかに、下層階級は、自分たちの子供が死体袋で帰ってきても気にしないというのだ。 マルクスの史的唯物論に由来するこの説明を奉じる人々は、ベトナムが、アメリカ最長の戦争だったことには注目しない。学生とその両親達の物質的関心が目覚めて、戦争を止めるには、ほぼ永遠の時間がかかったことだろう。 アメリカ軍とアメリカ国民は、女性、子供や非戦闘員を殺害するのに、うんざりし、立腹さえしたから、戦争が終わったのだと言うのを、なぜ我々は恐れているのだろう? ベトナムはアメリカを攻撃したわけではないのだ。アフガニスタンでもそうしたように、アメリカは、遠隔地の内戦に、自ら飛び込んだのだ。 イラクを侵略して、アメリカは、スンナ派とシーア派の間で内戦を始めさせた。パキスタンで、アメリカは、敬虔な部族住民と、非宗教的なアメリカの傀儡国家との間で、内戦を始めさせた。パレスチナで、アメリカはファタハとハマースの間で内戦を始めさせた。 アメリカの侵略戦争に反対するアメリカ人達が、きまって主張する理由の一つに、戦争ができるのは、それがアメリカ人に影響を及ぼさず、影響は志願兵として申し込んだ連中だけに留まるからというのがある。そこで、戦争を止めようとする物質的関心は不十分なのだというのだ。これは反戦運動の弱さについて良くある説明の一つだ。 その代わりに、道徳的な抗議を無力にしてしまったのは、カール・マルクスの唯物論の勝利だと主張することも可能だ。道徳とは一体何だろう? その重さを量ることも、定義することも、長さを測ることも不可能だ。物質的関心の泣き言だといって、片づけることも可能だ。対照的に、命や、手足や、銀行口座等の物質的関心は、実在する。 理由は何であれ、21世紀アメリカにおいて、道徳が無力な力であることは証明済みだ。ひたすら、嘘と欺瞞に基づいたアメリカ侵略だけのおかげで生じた100万人以上のイラク人死者、強制移住させられた400万人のイラク人に対し、アメリカ人は何の良心の呵責も感じない。嘘と欺瞞は、今やしっかり証明済みだ。にもかかわらず、アメリカ人がイラクに与えた恐怖についての謝罪は皆無だ。 アフガニスタンは、もう一つの例だ。意図的な嘘が、タリバンと、アルカイダと“テロリスト”を結びつけた。最初、ソ連の爆撃に見舞われたアフガニスタンの様々な人々が、今度は、アメリカの爆弾に見舞われている。結婚式、葬儀、子供たちのサッカー試合、燃料や食料用の行列中の人々、自宅で眠っている人々、モスクに参詣している人々が、アメリカとNATOの傀儡によって殺害され、しかも、当たり前の様に殺害されている。 民間人が殺害されるたびに、アメリカは否定するが、毎回矛盾する証拠が現れる。 なぜ、アメリカ大統領は、アフガニスタンの国民を殺すために、更に何万人ものアメリカ兵士を派兵することをもくろんでいるのだろう? 答えは、アメリカ合州国が、不道徳な国民と不道徳な政府の、不道徳な国家であるということだ。アメリカ人は、もはや道徳的な良心を持ってはいない。連中は邪悪な側に行ってしまったのだ。 人類は何千年も、悪を道徳で支配しようと努めてきた。アメリカという“スーパパワー”の中で、この努力は崩壊し、ついえたのだ。 アメリカ合州国は、アメリカの物質的関心に沿っているとして正当化するのではなく、その不道徳な振る舞いを譴責されるべきなのだ。 記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article23958.htm --------- 不道徳な国家の大戦犯が、靴を投げられることなく、無事にボールを投げ、早稲田大学で講演をして帰国した後、現職がきて、中国へと去った。テレビの役割を、再確認するのに良い二日間だった。早稲田大学が、貴重な学費を、大戦犯の講演のために使う大学だとは、想像もしていなかった。こういう人物の講話を有り難がって聞くような学生に、将来は期待しない。せめて、インフルエンザ名目で自主休校ぐらいできたろうに。 この人物の演説本やCD、宗主国ではさっぱり売れていないというが、属国では書店に山積み、実際に売れているのだという。さすがコネズミが支持された国だけのことはある。 「アメリカ・インディアン悲史」の著者、尊敬する藤永茂氏、ブログ「私の闇の奥」最新記事「オバマ大統領、医療保険制度、ホンジュラス、コロンビア」で、「彼がコンマンであるという確信がますます強くなっている」と書いておられる。一部だけ引用させて頂こう。 彼が稀代の「コンフィデンス・マン」、コン・マンであるという、私の信念は揺らぐどころか、ますます強くなっています。 署名されるまでのオバマ・チームの巧妙なノラリクラリ作戦の方に注目してほしいのです。結局のところ、オバマ政権が、当初から狙っていたものを見事に手に入れた、そのやり方です。私が、オバマ・チームを、稀代のコン・マン・チーム、詐欺師集団と呼ぶ理由はそこにあります。始めは、いつもなかなか良いことを言うのです。しかし、本当に達成したいことは別に決めているのです。 新聞・テレビで、翼賛文化人が何を言おうと、藤永茂氏の言葉にこそ賛成する。コン・マンの演説本やCDを買うお金とエネルギー、藤永茂氏の著書に注いでいただきたいものだ。 記事中の少女の画像とは、ファン・ティー・キム・フックさんのものだろう。不思議なことに、日本語Wikipediaには、その肝心な光景の写真がない。意味が全く通じないではないか。英語版には、写真がある。 沖縄美術館でも、今年の石川文洋氏の写真展で、館長指示で、強烈な写真が一枚外された。沖縄美術館の館長に「反戦を訴える写真を外させる」という馬鹿なことをする人物が選ばれているとは信じがたいが、こういう館長だからこそ、上から選ばれる。沖縄美術館の館長、芸術を推進する人物ではなく、何より、体制にとって、まずいものが世に流れないようにする、お目付役なのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 抜粋終わり 孫子は言います、「道・天・地・将・法」「主いずれか道あるか」 モラルも何もないところで、人を当たり前のように殺せるほど、人は強くは無い。 いやそれが強さなのであります。 無論、モラルだけで戦争は止めれることも、やめることも、勝てることも無い。 だが、その力が伯仲したら、長期化したら、その最後に一番大きな差になるのが、道義でありモラルであります。 正しくもない戦いの中、無意味な殺人・苦しい行軍・死の恐怖と戦えるほど、人間は強くもないのです。 ジャンヌ・ダルクが強かったのは、彼女の勇気と天才だけではない。イギリス軍も正義やモラルを見失っていたからだ。それが小娘一人の出現で、フランスとイギリスが完全に攻守を入れ替えた一因でもあります。 あと追記です。 激情や差別感情で、一時期無差別殺人や略奪・侵略は可能でしょう。 ですが、それで本国に帰国したらどうなるか? ただでさえPTSDに成りかねません。その上にその戦争の大義に疑問をもてば、どうなるでしょうか。 戦争中多くの戦死者の遺族の方々が、英霊が靖国神社に祭られることも望みました。それは戦争で失った故人の死が無駄ではないことを求める気持ちが強いからだったからでしょう。 で、あの戦争に負けて「悪の戦争だった」を一色端に決め付けられ、絶望に近い感情に思います。 確かに、中国・朝鮮半島・東アジアでは、義など無い戦争でした。ですが、英米とは「生き残りをかけた戦争」の一面もあり、対欧米との戦いは不義の戦争とは言い難いです。 まあそれは置いといて、 イラク戦争では、アメリカの素朴な道徳観の庶民・移民が、軍隊に入ってイラク市民を巻き添えにして当たり前に殺す戦闘を繰り返す。それゆえに、過去最大の帰還兵の精神病罹患率だと言われます。 心病み、行き場を失い、その人たちがときに自殺・時に殺人を含んだ犯罪を犯す。 そのモラルなき戦争と長期的侵略戦争により罪過と、それを為した国にも圧し掛かる十字架。 長期にわたる戦争や大義のない戦争は、自国の社会すら傷つける。どうもフォークランド紛争ですら、イギリスはベトナム戦争並みの深刻な社会不安を抱え込んだといわれます。 軍備を軽視するものは、それも侵略を誘発させる危険なことです。 同様に軍備に心酔し、それに依拠するものも、社会を崩壊させる危険なことに思います。 皆様に幸いがありますように。 再見! [週刊?日本、民主主義国家への道。]カテゴリの最新記事
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