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太極拳に久しぶりにいってから、ついでに須磨寺にお参りしました。
本堂の観音さまに読経・大師堂の空海さんに大師宝号を108回・正覚院の愛染明王さんに、般若心経を10巻あげて、お礼とお願い。 今日もおまいりできましてありがとうございます。 ここには「親子地蔵」っていうのがあります。 大正4年だったか、須磨の沖で家族関係に悩む母親が幼子を連れて投身自殺をする事件がありました。 それは「須磨の仇浪」という小説になりました。 今の家族間の不和や親子関係の不和が、社会の悲劇の原因の半分ほどになると思います。 光市母子殺害事件・秋田連続児童殺害事件の双方の被告は、エグイ児童虐待を受けている。 それが「人工的発達障碍」を含めた精神の異常を発生させた。 諸悪莫作 08年5月3日光市事件 置き去りにされたもの 上記文抜粋 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そして、先の判決によって置き去りにされたものはそれだけではない。 犯人の父親は、妻子への暴力が日常茶飯事だった。団地住まいであるため泣き叫ぶ声などから近所中に知られていた。幼い息子の目の前でその母親を執拗に殴り、怯える息子も見かねて止めに入ると今度は息子をぶちのめしたうえ風呂場へ引きずって行き水の入った浴槽に頭を突っ込み押さえつけるなど壮絶を極めた。母親の前に立ちはだかってかばったために、ぶん殴られて失神したこともあった。 耐えかねた母親は自殺し、首を吊って脱力し糞尿を垂れ流してぶら下がる母親の無惨な姿を見ながら11歳の息子は泣きじゃくっていた。そのあたりから普段の言動に異常さが表れてきて、近所で「あの子はおかしい」「かわいそうだ」「父親があれでは」というような噂がささやかれていたところ最悪の事態となり、こうなる前になんとかしてやれなかったかと悔やまれていることが地元紙で報じられたことがある。 こんな状態だから、少年はいつもおどおどしていて、学校ではいじめに遭い、あいかわらず父親の暴力は続き、高校生のときには鼓膜を破られた。最後の暴力は、あの忌まわしい事件を起こしてしまう前々日であった。つまり、逮捕されてやっと父親の虐待から解放されたのだ。 こんな事情があるのになんで最初から裁判で問題としなかったか。そう疑問に思う人たちから、最初ついた弁護士は責められた。けれども、被告が未成年者であるため親の意向に従わないといけなかった。だから言いたくても言えなかった。言えば被害者に知られて親の責任ということで損害賠償請求される。それを父親は恐れたというのだからひどい話である。弁護団を途中で離れた今枝弁護士も、前の弁護士がいいかげんだと最初は思っていたが、あとからこの事情を知って怒れなくなったとインタビューで言っていたほどだ。 楽なログ : 子供ばかり責められるのはなぜか 誤解を怖れずに言うならば、彼もまた、虐待という犯罪の被害者だった。しかし彼の凄惨としか言いようがないこの生い立ちも、近所の無関心も、そしてこのような虐待が放置され、なんら社会としての対応がなかった、社会としての対策が機能していなかったという事実も、「被害者遺族の感情を考慮せよ」の大合唱の前にすべて置き去りにされてしまった。多くの人が彼の主張を聞いて「荒唐無稽だ」と憤った。しかし彼の生育過程と、もしかしたら本当にそのような「荒唐無稽」な判断しかできなかったのかもしれないという可能性はついに顧みられることがなかった。そして今、僕たちの社会の合意の結果として、彼はくびり殺されようとしている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 抜粋終わり あと秋田連続児童殺害事件の加害者受けた児童虐待に関しては「橋の上の殺意」が詳しい。 児童虐待を放置することで、5人・あるいは六人の人間を殺すことになった。 殺す殺さないは、個人の自由ですが、「殺す」を選択をする必要が少ない社会にしたほうが、マシでしょう。 「未だに、家族の中で殺し合いを繰り返すの?」 と親子地蔵が言っているように思います。 南無地蔵菩薩 皆様の心に光明が溢れますように。 再見! [霊場・名物・名所巡り。]カテゴリの最新記事│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |