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カテゴリ:街を歩いて見かけたもの
京阪・光善寺駅の西側の商店街を抜けて、国道1号線の中振交差点を渡り、北西の方角を目指して歩くと、光善寺にたどり着きます。あらかじめ地図で確認していたのですが、目標となるものが少ないので、少し迷いそうになりました。 光善寺(正面) 「出口御坊 光善寺」 「淵埋山 光善寺」 当時、この地には大きな池があり、それを埋め立てて建立されたので、山号を淵埋山(えんまいさん)と名付けられたそうです。 正面右手 境内に入るには、右手に回る必要があります。 右手の入口 本堂 同上 本堂は天文3年(1534年)に火災に遭い、慶長年間に再建されました。現在の本堂は寛永14年(1637年)の建築だそうです。 蓮如上人像 ここは浄土真宗の中興の祖として知られている、本願寺八世・蓮如上人が開基したお寺です。上人の教えに帰依していた石見入道光善の請いにより、光善寺が建立されました。光善寺の名はこの「光善」に由来します。 蓮如上人像の「謹録」 蓮如上人像の台の部分に「謹録」と題して由来が書かれています。引用すると「河内國中振郷出口村箕屋祖空念(石見光善)ナル者今日ヨリ約五百五拾年前ニ此ノ地ニ居住ス蓮如上人ニ請イ光善寺ヲ創建ス蓮如上人ヨリ空念ノ法号ヲ賜ル」とあります。 さらに、箕屋の別家が空念の跡目を継ぎ、眞田左衛門尉幸村(真田幸村)に従い戦功を上げ、宝刀と吉田姓を賜ったとあります。昭和38年、吉田家の子孫が寄進したのがこの像です。 文明7年(1475年)8月、蓮如上人は、一向一揆が起きた北陸を離れてこの地に移られました。争いを嫌い、諌めるためだったといいます。 文明10年(1478年)までの3年間、ここを拠点に近畿一円で伝道を続けたといいます。 蓮如上人が来たころの出口村はわずか9軒の小さな村だったそうですが、やがて枚方・招提・出口は寺内町として賑わいました。長男の順如を光善寺の初代住職とし、自らは山科本願寺再建のため、京都・山科に移りました。 屋根の上には、、、 本堂の屋根の上に、なにやら怪しげな動物の像が?? 鬼瓦の一種でしょうか。ちょっと気になったので写真に収めましたが、よく判りません。
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