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ぐうたらたぬき途中下車

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January 28, 2010
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京阪・郡津駅の西、釋尊寺から京阪・郡津駅へ戻る前に、周囲の地図を見てみると、すぐ近くに「甚兵衛(じんべえ)屋敷跡」という名前を見つけました。

京阪郡津駅周辺 甚兵衛屋敷甚兵衛屋敷跡

うしろは大きなマンション。周囲には畑地も残っております。

京阪郡津駅周辺 甚兵衛屋敷同上

枚方市教育委員会の案内板には、「元亨(げんこう)元年(1321年)11月16日、融通念仏宗中興の祖法明(ほうみょう)上人は、男山八幡宮の使いから、同宗の本尊である十一尊天得(てんとく)如来画像(阿弥陀如来を中心に十体の菩薩が囲んでいる)を、現本尊掛松の地(茄子作南町)で授かった後、一夜の宿を借りたのが、当地犬井甚兵衛の屋敷です。」と書かれています。

融通念仏宗は、比叡山の天台宗の僧・良忍が、大治2年(1127年)、鳥羽上皇の勅願により開創したといいます。その総本山は、大阪市平野区にある大念仏寺です。

100年以上に渡って宗門が途絶えていましたが、法明上人によって復興されました。1321年まで、本尊である十一尊天得如来画像は、京都府八幡市の男山八幡宮に預けられていたようです。

法明上人は、本尊が男山八幡宮にあることを夢のお告げで知り、深江の庵(大阪市東成区、現在の法明寺)から東高野街道を男山に向かっていたところ、同じく夢のお告げでこの本尊を持って深江に向かう途中の男山八幡宮の使いと枚方市茄子作(なすづくり)で出会いました。

喜んだ法明上人は、本尊を近くの松に掛け、念仏を唱えて踊ったといいます。「本尊掛松」の名はこの本尊をかけたことに由来します。残念ながら明治時代に松は枯れてしまい、現在は植え替えられたとか。

また別名「ほととぎす松」とも言われましたが、それはホトトギスの鳴き声が「ホンゾンカケタカ」と聞こえるからだそうです。ホトトギスの鳴き声は「テッペンカケタカ」とか「トッキョキョカキョク」とか言われますが、「ホンゾンカケタカ」って聞こえます?

さて、大きな疑問が一つ残りました。この屋敷の主、犬井甚兵衛ってどんな人だったんでしょうね?

 

 






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Last updated  January 29, 2010 02:03:45 AM
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