ゆとりの是非について軽く
世間では、「ゆとり教育は悪」というふうに思われているのかもしれない。そういう傾向はあるように思う。極端に言えば「やはりつめこみ型は正しいのだ」といわんばかりの空気が漂っているような場合もあるようなないような。(以下ゆとり対つめこみ的な視点でかいてるけど便宜上です。)私はゆとりという方向性自体は間違っていないと思う。ゆとり路線は1970年代に始まったのだったと思うけど、やはりそれまでの高度経済成長期の教育は問題があったし、多くの弊害を伴った。それに時代の変化もあり、学力観も変わっている。2000年頃からのゆとり教育に起因する学力低下についても本当に学力が低下したといえるのかはよくわかっていない。学力は何かとか何をもって学力とするのかという点にも課題がある。よくやり玉にあげられるPISAの順位低下だけをもってゆとり教育は間違っていたということも当然できない。学力格差は拡がったのかもしれないけど、そういったゆとり教育に起因するとされる諸問題は、だから詰め込み型教育に戻すべきである、というものではなくて、ゆとり教育のやり方に問題があったと見るのが妥当かなと・・。で、実際にはゆとり教育で伸びた面もあるのだけど、ゆとり教育を受けた世代の子どもたちは周りから「あなたたちはゆとりだから」と言われ続け、「自分たちは失敗した教育をうけてきたんだ」と思って自尊心を持つことができないでいる。ゆとり、ゆとりとばかりいわれれば、うんざりもするだろう・・・彼ら自身には罪はないのだが・・・正直、ゆとり世代の子どもたちに非難を向けている大人というのは、その子供達が真逆の教育をうけていたとしたら、勉強ばっかりできても仕事でつかえないとかいいそうなんだけど。大学の講義で、教授が黒板に分数の割り算を書いて「これ説明できる?」と言っていたけどそこで発言していた人は「答えは××で」「頭の中で分母と分子を入れ替えて」といってたけど、そういう意味ではないかと。自分はしらべたことがあったので、多分あてられたら簡易的な回答はいえたと思うけど、詳細に説明しろといわれたらキョドってしまうかもしれない。分数の割り算は小学3年生の問題だけど、小学3年生に分数の割り算の概念が理解できるだろうか・・・円周率をおよそ3として扱うようになったのは小数を習う時期がずれたからだったけど、概念を学ぶのに、円周率を3とするか3.14とするかというのはそんなに重要だろうか・・・少なくとも詰め込み型の教育では、分数の割り算の概念を理解させようとは思っていないのではないかと思う。「割る数をひっくりかえして掛ける」という作業だけなら小学3年生でもできる。でもそうではなくてその意味するところまで理解できたとしたら、いろいろなことに応用が効かせられるようになり、なにより勉強が楽しいと感じられると思う。公式を教えて何の疑問ももたず、それに当てはめて問題を解いていける子もいれば、なぜそうなるのか、納得できないと進めない子もいる。そういった納得できないと進めない子が落ちこぼれてしまう傾向があるのが現状だと思うけれど本来的には、意味がちゃんと分かっている方が望ましい。覚える内容量が減ったり進度が遅くなったとしても、そういうところをじっくりやったほうが良いのではと思う。で、ゆとり教育ではそういったことが出来る可能性があるんじゃないかと思います。なんにせよ、詰め込み教育に戻してしまうというのは本末転倒だ・・・