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2007.05.29
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カテゴリ:本@AC関連
『シンデレラ・コンプレックス』を久しぶりに読みかえしている。

この本を最初に読んだときに受けたものすごい衝撃のことは、今でも覚えている。

この本を読んだことで、少なからず依存心から脱却できた部分もあって、

この本との出会いは、私の転機のひとつだとも言える。



今、再読すると、私の中の依存心がかなり薄れてきたことを感じる。

この本を読んでから今までが、季節的に動きやすくなる時期ともリンクしているし、

子どもの成長著しく、夫の手助け無しでの外出が苦ではなくなる時期ともリンクしている。

つまり、環境的に動けるようになる条件が揃ったことともリンクしているから、

単純に依存心だけの問題とは言えない部分もあるのだけれど、変化は大きい。



この本をはじめて読んだときには、私一人で子ども二人を連れての外出は、

近所のスーパーが限度だと思っていた。

今は、どこへでも行ける気がしている。

ゴールデンウィークにも、ダーリンとケンカして旅行が頓挫しかけ、

私一人で子連れ一泊旅行をするつもり満々だった。



彼氏が出来たり、結婚したり、子どもが出来たり、

そういう節目ごとに、私は依存心を強め、友人と距離をとり、フェードアウトしていった。

切れていった私の交友関係も、少しずつ回復している。



確かに、私は家庭の生育暦の問題で、交友関係を築きにくい素地を持っていた。

私の友達関係にクチバシをつっこみたがる過干渉の親をもっていたせいで、

私の領域を守るために、友達関係を出来るだけ希薄にすることも必要だった。

だから、私は友達との信頼関係を築くことがとても苦手だ。



でも、それとは別次元で、男を得て、男に対する依存心が働いたことも、

友達関係が希薄になっていく要因のひとつであったことも、確かなのだ。



今、私は少しずつだけれども、失った友人関係を取り戻そうとしている。

10年前、15年前の友人たちと、少しずつ近寄り始めている。

新しい友人も、出来始めている。

そのことは、私の世界を少しずつではあるけれど、広げてくれている。

少しずつ、私はまた、自分の足で立ち始めたのだと思う。



私の中にある潜在的な不安や不満にダーリンが気づかないことも、

不満には感じなくなった。

いろいろなことを「○○シテクレナイ」と始終不満に思っていた私は、もう居ない。



この差は、とてもとても大きく、なんと自由なんだろう、と思う。



でも、やはり、不安になることもある。

私はこれから正社員を辞めて、パートになろうとしている。

これは「経済的に自立した一人前の大人」であることの、放棄でもある。

パートの給与だけでは、私一人だって食べていくことは難しい。

経済的な強者と弱者、の構図が出来上がるのではないか。



妻が被扶養であることに、抵抗が無い人もあるだろう。

扶養される専業主婦であっても、単なる役割分担だと割り切れる人もいるだろう。

世の中には、そういうのが違和感無く受け入れられる人が居ることも知っている。

だから、単なる考え方の違いなんだと思うんだけど、

残念ながら私はその考え方を、アタマで理解することは出来ても、

実感として理解することが出来ない。



私は過去の産休・育休の専業主婦疑似体験の間に、それをイヤというほど味わった。

私は、夫に扶養される、ということを「服従」だと受け取ってしまう。

「養っていただいている」立場だと思ってしまうし、

夫と対等の立場だと、認識することが出来ない。



『シンデレラ・コンプレックス』は、

著者が「経済的に自立していない、扶養される妻の依存心」を発端に書いたものなので、

経済的に自立していないこと(=専業主婦)に対して、非常に辛辣でもある。

専業主婦タタキが目的ではないから、直接こき下すとか言うわけではないし、

キャリアを持つ女性もシンデレラ・コンプレックスと無縁では無いと書かれているけれど、

それでも専業主婦に対して厳しい目が向けられていることは確かだ。



私は今、正社員で働いているから、夫の給与とあまり差が無い。

でも、今後パート労働者になると、その差は大きくなる。

私は、扶養される立場になる。



扶養される、ということが、自分自身に対する責任の放棄になりうる。

少なくとも、私の場合は、過去そうだった。



かれこれ10年前。

小学生の頃から自分に誓った大学院進学を諦めて、一般企業へ就職。

初めて給与を受け取ったときの、なんともいえない充足感。

自分の足で立つことが出来た、というあの喜び。



私の望む仕事でもなんでも無かったけれど、

私を働き続けさせたのは、あの、独り立ちしているという実感に他ならない。



私は、今まで認めたくなかったことを、書く。



私は、夫より「デキル」自信がある。



残念ながら、夫は「切れ者」では無い。

私は夫に対して、切れ者であることを求めていないから、

それは全く問題ないことではあるんだけれども、

夫より遥かに「切れ者」である私が低賃金労働者になり、

私より遥かにニブイ夫が責任も収入も地位も得ることは、ひどい不公平感を感じる。



ああ、でも。

今までアタマの片隅で漠然と思いながら、形にしたことがない思い。

なんとなく怖くて目をそらしていた、自信。

これが書けるようになった分、私は依存心から抜け出せたのだろう。

なんと、なんと、気持ち良いことだろう。








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Last updated  2007.05.29 12:22:13
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