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2008.02.25
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カテゴリ:本@AC関連


副題に、「チャイルド・マルトリートメントの恐怖」と書いてある。

チャイルド・マルトリートメントってなんぢゃ?

と検索してみたんですが、この著書とこの著者でしかHITしない。

どうも、まだまだ市民権を得た言葉では無いようだ。



チャイルド・マルトリートメント、という言葉について、

著者は、プロローグの中で「大人の子どもに対する不適切な取り扱い」と書いている。

虐待、というには些細だけれども、子どもを傷つける行動、と考えていいだろう。

以前に読んだ『子どもに手を上げたくなるとき』の中で、

著者が子どもを叩くことを「子たたき」と書いたことに似ている。



確かに、「虐待」という言葉を使われると、どうにも、極端な例をイメージしがちだ。

『I’tと呼ばれた子』などは、間違いなく「虐待」だろうけれども、

私が受けてきたもの、私が私の子どもにしたものを、虐待、と呼ぶのは大げさだ。

でも、私は『子どもに手を上げたくなるとき』で「子たたき」と書いていることに、抵抗があった。

虐待の被害者・加害者の意識が芽生えた頃でもあったので、

オブラートに包んで物事の本質を誤魔化すだけではないのか、と思った。


が、この『知らずに子どもを傷つける親たち』を読むと、

「子たたき」でも「チャイルド・マルトリートメント」でも良い、という気がする。

むしろ「虐待」という言葉のきつさのために、質・量で軽微なものが見逃されるなら、

それは却って問題なのではないか、と思った。



とはいえ、この著者。

結構、毒舌。

毒舌、というか辛らつ。

アダルトチルドレン、という言葉についてもキッツイ付言があるし、

学校教育のあり方についても「一体、学生時代に何があったんだ!?」と気になる。

なので、アダルトチルドレンの自覚があって、まだ回復が進んでいない人には、

とてもじゃないけれど薦められない。きっとザクザク傷つくはずだ。



その毒舌に目を瞑ると、とても納得できることが多く書かれているし、

とても分かりやすい書だと思う。



この本では第一章で、まず4つの例が提示される。

1.過干渉の果てのDV

  過干渉の母親に育てられた高学歴の息子が、嫁・息子に対して暴力をふるう。

2.厳しいしつけが生んだ暴力

 「子どもは叩いてしつける」が信条の母親に育てられた息子が、非行に走る。

3.援助交際する女の子

  いい子であることを求め続けられた娘が、登校拒否の後、援助交際に。

4.浮気グセとカルト宗教

  浮気癖の治らない兄と、カルト宗教に嵌った妹。


何れも実在のケースではなく、実在したケースを編集して作られた、

分かりやすい「問題のある家族」の例だ。

でも、それぞれ問題のある家族の例として扱われ、検証される。

上記1~4の例は、それぞれ第二章「親が子どもにしてはいけないこと」で書かれる、

1.子どものペット化現象

2.「しつけ」という名の虐待

3.子どもに夢を託してはいけない

4.小さなネグレクト

に該当する。



私は「子どもに夢を託してはいけない」に書かれたようなことを散々されてきたので、

かなり身近な例として読んだ。

この著者は斎藤先生の著書からの引き合いが多いこともあって、

私が読んできた本と重なることもずいぶんたくさん書かれていて、

今更、目新しく読むことも無いけれども、58ページに書かれた、

「日本では、子どもの評価が、そのまま母親に対する評価となっています」

には、とても重みを感じた。



私がこの本を読んで、自分の子どもへの行動について考えたのは、

「『しつけ』という名の虐待」と「小さなネグレクト」だ。

人間関係で受けたストレスは人間関係で発散するしかない(171ページ)、

と書かれているように、体罰を伴うしつけは、親のストレスの発散である。

これは、私にもとても身に覚えがあることだ。

親は、自分が幼少期に厳しいしつけによって受けたストレスを、

「自分を虐待した親に対してではなく、かわいいはずの自分の子どもに対して行う 92頁」のだ。

それは、幼少期に積んだ歪んだ経験の、学習効果ではないという。



幼少期の歪んだ経験の学習効果によって虐待が起きる、

というのは色んなところで書かれていることなのだが、

私自身の感覚として、疑問を感じることが強かった。

確かに、それはそれで原因の一つではあるとは思うのだけれど、

主たる原因かと言われると、激しく疑問を感じる、という感じ。

この著者は、学習効果による虐待を完全に否定している。

それは極端だろう、という気はするけれど、

癒されずに蓄積されたストレスの発散が主原因であることが最大の原因、

というのはとても納得する。

著者のこの論は、『虐待』という他者の本によるところが大きいのようなので、

この『虐待』も読んでみたいと思う。



また、「小さなネグレクト」について。

スーパーでお菓子を買ってほしいと泣き叫ぶ子に、

「もう知らない!」と母親が背を向けて帰宅する仕草をみせる、

そんなありふれたことも、「小さなネグレクト」であると指摘する。

これは、私も時に使ってしまう手だ。

屋外に放り出された恐怖を覚えているから、屋外に放置したことは無い。

でも、私は同じことをしているのだ。

子どもに与える恐怖は大きく、著者は強く非難している。


ただ。

敢えて異論を挟む。

母親には、余裕が無いのだ。

福知山線の事故の際に、一分の遅れに目くじらを立てる日本人はおかしい、

というような報道を見たことがあるけれど、それは時刻表に限ったことではない。

子育ては、時間に追われていると難しいくらい、専門家でなくとも分かる。

分かっていても、それが許される社会ではない。

「なぜ待たないのか!」と母親だけを責めても、意味が無いことだ。



良いことか悪いことか、という議論は別にして、

親の権威で子を従わせるのは、とても効率的な方法だ。

他の方法が分からない、という技術的な問題もあろうけれども、

余裕が無い社会で、親にだけ余裕を持て、というのは非現実的だ。

子どもを害する親の行動について書かれた書であるので、

親の余裕を許さない社会については別議論でもあるし、

書かれていなくても不思議はないが、ハッキリ言って不満だ。



でも。

社会についてまで書かれていないこと、

時々、不必要に辛らつであることを除くと、とても良い本だったと思う。

これも公民館で借りた本なので手元に残らないのが残念だ。








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Last updated  2008.02.25 12:43:34
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