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2008.03.27
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カテゴリ:親業実践
昨夜、母と話しているとき、

「どっちないと(広島弁で、どちらでも)」「なんだったら」を多用された。



前に書いたことがあるけど、私はこの言葉が苦手。

苦手、というか激しく混乱する。

私の過去の傷に密着している言葉なんだと思う。



「どっちないと」(どちらでも好きなようにしなさい)、

と判断を私に預けたようでいて、『どちらが正しいかは分かるはずよね?』と試される。

放任したようで居て、実は二択の命令形。

「なんだったら」も曖昧にしただけの類似形。



母はこの二つの言葉がとても好きで、口癖のように使う。

私は、そのたびに混乱する。

混乱する、ということが自分で把握できるようになったから、

酷くなる前に舞台を下りるとか、出来るようになっただけマシだけど、

混乱することには、変わりない。



というわけで、どちらか一つを使われただけでも混乱するのに、

それを多用された昨晩、混乱しないわけが無く(笑

席を蹴立てるように、娘を背負って実家を去った。



背負われた娘は、私の様子がおかしいのに気付いたらしく、

実家のあの部屋へ戻りたい、とごねる。

それを半ば無視して、家路を急ぐ。

娘、半泣き。



けど、途中で話をしてみた。



私:あのね、おかあさん、おばあちゃんとケンカしちゃったんだ。

娘:いつ?

私:さっき。

娘:なんで?

私:お母さんね、おばあちゃんとお話しててね、

  わかって欲しかったのに、おばあちゃんに分かってもらえなかったの。

  でね、とっても悲しかったのよ。

娘:うん

私:だから、おばあちゃんトコに居るの、イヤだったの。

娘:おかあさん、悲しかったん?

私:うん、とっても悲しかったの。

娘:悲しかったから、イヤだったん?

私:うん、悲しくて、イヤだったの。

  だから、ハナコちゃんの言うこと、聞いてあげられなかったんだ。

娘:(安心したように)うん。



娘は、私が話し始めたトコで、ちゃんと聞いてくれた。

親業では、マイナス感情を持っていることを、「問題がある」と言うけれど、

この話を始めた時点では、娘も私も問題を抱えていた。

娘は、お母さんに分かってもらえない、という問題を。

私は、母に傷つけられた、という問題を。



でも、私は「わたしメッセージ」で私の気持ちを話してみた。

娘は、私の問題を能動的に聞いてくれた。

娘が能動的に聞いてくれ、分かってもらえた、と思った私は、

さっきまでの混乱が嘘のように解消し、あたたかな気持ちで自宅に着いた。

娘は、私の行動に理由があったことを知って、問題を昇華させた。



親業の始まりには、行動の四角形がある。

マイナス感情を抱いているのは誰か、を見極める作業だ。

転んで泣いている子どもが辛いのか、泣いているのを見る親が辛いのか、という問題だ。

「転んで痛い」という問題を持っているのが子どもで、

「転んだくらいで泣く子に不快感を感じる」という問題を持っているのが親だ。

転んで泣く子と、それを見て不快感を感じる親は、同じに見えて、

実は別の問題をそれぞれに持っているのだ、ということに気付くのが最初だ。

でも、これを長年一緒にしてきたせいで、そこから脱するのは、なかなか難しい。

だから、最初はまず、「問題を抱えているのは誰か」を始終考えることになる。

慣れればなんてことないけれど、これがもう、大変なのだ。



けれど、娘はそんな小難しい理論ヌキで、私と娘の問題を区別した。

自分自身が問題を抱えていたにもかかわらず、私の問題を優先して能動的に聞き、

それを理解することで、間接的に自分の問題を昇華させた。

親業の実践だ。



私の親業はまだまだ未熟だ。

けれど、私の親業は、確実に子どもに伝わっている。

私のことを気遣ってくれた娘の優しさも、

無意識のうちに親業を学び取ってくれたことも、とても嬉しかった。








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Last updated  2008.03.27 12:27:56
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