380307 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

あたしはあたしの道をいく

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Category

2008.07.07
XML
カテゴリ:本@AC関連

「アダルト・チルドレン」実践篇

以前に読んだ『家族収容所』と同じ信田さよ子の著。



私、カウンセリングを受けたときに斉藤先生のことしか聞かなかったから、

ACといえば齋藤先生のもんだと思ってたけど、この人も第一人者として有名なのね。

ぜーんぜん知らなかったけど。



女性だから、とか、男性だから、とか言う区分けはあんまりしたくないんだけど、

斉藤センセイの著書と比べると、女性だなあ、という気がする。

ACとか心理学の専門分野における考えの違いは当然あると思うんだけど、

それだけじゃなくて、とっても辛辣なのよね。

で、それが的を得ているだけに、「キッツー!!!」って思う。



「同じ女性として、どーなのよこれは!!!」とか、

「まーったく男ってのはこれだからオメデタイのよねっ!!!」とか、

そんな呆れ言葉が行間から漂い出てる気がして、笑っちゃう。

で、私もそのうちの一人だと気付いて失笑しちゃう。

情けないことに。



ただ、小説ではないから、話がやたら飛ぶ。

やたら飛ぶから、ついていくのが大変。

ここのところ、読みやすいものを狙って読んでいたから、余計に大変。



そんな感じで、この著書が主なターゲットを著者と同世代の、

中年以降の男女だと気付いたときには、もう大半を読み終えていた。

気付くのが遅すぎて、「????」と読み飛ばしたところが沢山ある。

そのせいもあって、イマイチ記憶に残っていない。

一呼吸おいたら、また読み返さなくちゃならない本の仲間入りだと思う。



その中でも、印象に残ったものを少しだけメモしておく。



ACはあくまで、自己認識のものだということ。

アダルトチルドレン、という言葉が誤用も含めてかなり一般的になりつつあるけれど、

ACが自己認識のものだということは、意外に落ちてしまう。

だから、他人に指摘されるものではないし、診断されるものでもない。

これは齋藤先生の著書でも何度も出会った論だけれど、

そのことの重要性を再認識させられた感じ。



それから、私もつい安易に使いがちなのだけれど、「トラウマ」と言う言葉の怖さ。

この言葉は発展途上の言葉であって、安易に使ってよい言葉ではないこと。

何らかの大きな出来事に対して受けたものを、トラウマというのは正しいかも知れない。

児童虐待において使われるなら、父子姦淫のような酷い虐待が一度だけあった、

というようなことであるなら、それはトラウマと言えよう。

けれど、精神的虐待のような、些少なものが積み重なったものはトラウマと言えるのか。

一つ一つの言葉によるものよりも、傷つくような関係だったことが問題ではないのか。

そのような場合、「私は母によってトラウマを受けた」と言うのは、間違いではないか。



ここで、「私は母によってトラウマを受けた」と母に詰め寄る危険性も、著者は書く。

そう詰め寄られた母が、どう行動するか、だ。

支配関係が問題なのに、加害者だと言われれば、そのトラウマを治すべく、

母はより強い支配を行うようになるのではないか、と。

本当に必要なのは、より強い支配ではなく、支配を止めることなのに、と。

これは私自身、思い当たるところが強い。

私も、母にそう詰め寄ったことがあり、そのことで却って傷ついたから……。



また、インナーチャイルドの癒しについても、著者は疑問を投じる。

それは無意味ではないのか、と。

それよりも、インナーペアレンツを克服することが重要なのではないか、と。



インナーチャイルドを癒すことへの疑問提示は、少し反感を覚える。

私自身、ACに気付いた頃、私の心の中に居る「たすくちゃん」が大泣きしていたから。

その子を楽にしてやらなくては、先に進めなかったから。

でも、インナーペアレンツの克服については、納得した。

不適切な親子関係で自分の中に作られた親のイメージを克服していく、重要性。

大切なのは、今の親を切り捨て、今の親を超えることではなくて、

自分の中に作られた、親の虚像を克服することなのじゃないか。

大人になれば、親は強大でも何でも無いはずなのに、未だにそれに縛られる。

そらは、過去の強大なイメージに縛られてのことだと、私も思うから……納得。

ま、大変だけど(笑



あと、笑いながらもものすごく笑っちゃったのが、日本の男はオメデタイって話。

まーったく、その通りよねえって思う。

私が夫との関係に倦み、悩んだ経過そのままよ。

男の人って、どうしてそれが分からないんだろう。

どうしてそれが許されるって思うんだろう。

どうして他人同士が寄り集まる家庭で、努力が要らないなんて思うんだろう。

全身で安らぎたいってのは、分かる。そこまでは、分かる。

だけど、それが他の家族である妻子を傷つけて良いって免罪符になる理由が分からない。

なんで、妻子は夫の安らぎのために努力をしなくちゃならないのに、

夫は妻子の安らぎのために努力をしなくて良いって思えるんだろう?

それをオメデタイといわずに、何と言うんだろう。

まーったく、その通り。



ホント、夫にこれを読ませたいと思った。

本ってものを読まない夫なので、まずムリだけど。



妊婦の身で言うか?ってつっこまれそうだけど、

これから先、何年も何十年も続くだろう家庭生活を思うと気が滅入るのよね。

このさきずっと生涯を終えるまで、私の伴侶はこの人だと思うと絶望的な気分。

積極的に離婚を思い立つほどの嫌悪感は無いけれど、

生涯連れ添わねばならないのかと思うと、イヤだと思う。



確かに、成り行きに流されるように結婚したんだけど……

あまり考えずに結婚した私が悪いって言っちゃ、そこまでなんだけど。

それでも、結婚したときには幸せで、この人と一生って思えたのよ。

それが、少しずつ少しずつ、幻滅したり、傷ついたり、絶望したり。

言っても伝わらない、訴えても報われない、示しても振り向かれない、

そんなアレコレが蓄積していくのに、夫に嫌悪感を抱かないなんて、ムリ。



正直、この状態で生涯を添い遂げるのはムリだと思ってる。

どっかで見切りをつけるなり、見直しするなり、必要だと思ってる。

けど、仕切り直しが利くなら、仕切りなおしたいとも思ってる。

それを夫に伝えるには、離婚届とセットじゃないとだめなのかしら?

そんな、背水の陣で臨まなきゃ、だめなのかしら?

オメデタイ男に伝えたいなんて、それこそオメデタイ話なのかしら?



ああでも。

最近、ツワリのせいでかなり低迷中でして。

シゴトに出ると割と普通なのですが、無意識にムリをしているのか、

帰宅後&週末はボロ雑巾のようにへばっております。

なので、家事らしいことはアイロンかけが唯一で、あとは夫がやってくれてる。

子どもの相手もかなりしてくれていて、子どもが夫を頼りにしているのが分かる。

私にも、態度や言葉で気遣いを見せてくれることも、多々あって。

ちょっと、幸せだなあ、と思うことが増えています。

今のままなら、いいのにな。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.07.07 11:59:45
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.