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2008.12.01
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カテゴリ:本@AC関連

ネグレクト


ネグレクト、とは・・・・・

児童虐待の一つで、養育放棄、とでも言えば良いのだろうか。

食事を与える、体を清潔に保つ、衣服を整える、といった基本的な世話をしない形態だ。

殴る蹴るというような身体的虐待がとても積極的なもので分かりやすいのに対し、

分かりづらく、認識されにくい虐待だ。



この本は、2000年にネグレクトにより死亡した真奈ちゃんのケースを扱っている。

それぞれ十分な愛情を受けることが出来ぬままに成長した男女が、

十代の終わりに真奈ちゃんを授かり、親となる。

当初は誕生を待ち望み、惜しみない愛情を注いだはずの彼らが、

真奈ちゃんを疎む状態に陥っていく様子が、詳細に描かれている。

そして、真奈ちゃんが亡くなり、その後の公判などの様子も。



読んでいて怖いのは、この事件が特殊な事例だと思われないところだ。

子どもが養育放棄の末に餓死、となると極端な事例に思われるのだが、

程度の差というものを度外視するなら、とても共感する部分が多い。



私自身、過去の子どもとの関わりを虐待だと認識している。

自戒と反省を込めてもいるので、一般的に認識される虐待には入らないとは思うが、

それでも、なんとこの親に共感する部分が多かったことか。



実際に今、虐待の寸前で踏みとどまっている親にしてみれば、

一線を越えたものと、その手前で踏ん張っているものとを混同することは、

著しく失礼だと感じられるだろうし、一線を越えた彼らに強い憤りを感じるだろう。



でも、既にその渦中を抜け出した私には、共通点ばかりが見える。

私が一線を越える前に引き返すことが出来たのは、

幾つかの偶然の重なりによる幸運だとも思っているので、

それらの「幸運」にめぐり会えなかった彼らが、他人事ではない。



虐待による子どもが死亡する事件が報道されると、

必ずと言っていいほど尤もらしく語られる非難に、

未成熟な子どもが子どもを持つのが間違っているのだ、

人間的に大人でない者は子どもを持つべきではない、というのがある。

私がひどく違和感を覚える非難だ。



彼らほどではないにしろ、私も機能不全家庭で育った。

機能不全家庭で育った子どもは、健全な家庭というものを知らない。

その子が長じて健全な家庭を営めないことに、何の不思議も無い。

自らが家庭を営むことに未熟であることを、どうして知ることが出来るだろう。

経済的・社会的に未熟であることと、家庭を営む能力は別な能力なのに。



未熟な者は子どもを持つべきではない、という議論は現実的ではない。

それよりも、孤軍奮闘している未熟な親をどう支援すべきか、の方が余程大切だろう。



難しいのは、機能不全家庭で育って親となった者に、

実家の手助けは、必ずしも良好に働かないということだ。

自分の親であれ、パートナーの親であれ、良好な関係が下地にあれば、

祖父母の手助けもアドバイスもありがたいものだ。



私自身、実家の両親と比較的良好な関係に落ち着いている今は、

手助けやアドバイスを聞き入れることにそれほど抵抗が無いが、

ACに気付く前は、酷く苦痛だった。

今思い返しても、母の手助けが無ければもっと酷くなっていただろうと思う一方で、

親の余計なおせっかいが無ければ、もっと楽に子どもと関っていただろうとも思う。



公的機関の手助けも、私には全く無かった。

民生委員の訪問も、保健師の訪問も、無かった。

もしあったとしても、迷惑だと感じただろうけれど。

公民館で定期的に開かれる子どもの健康相談は、苦痛だった。

保健センターの定期健診は、もっと苦痛だった。

夫は、この真奈ちゃんの父親ほどではないにしろ、無関心で、

私を労わってくれることがなく、逆に毎日のように愚痴を聞かされ、

ネットにも繋がっていなかったあの頃、文字通り孤軍奮闘しながら、追い込まれていた。

母が唯一の援助者なのに、それが苦痛だという皮肉な状況。

どれもこれも、この真奈ちゃんのケースと似通っている。



援助は、必要としている人には届きにくい。

それは、申請によって支援を受けられる、という行政の仕組みも大きいだろう。

本人の不勉強と言うのは、簡単だ。

でも、そのエネルギーさえ無い、その接点さえないという現実もありうるのだ。



真奈ちゃんの事件が起きたのは、2000年。

今から8年前のことだ。

私が上の子の育児で追い詰められていったのは、6年前のことだ。



一体、それからどれだけ「支援」は変わっただろう。

私は色んなことを知り、おそらく今度の育児では前ほど辛い思いはしないだろう。

でも、あの頃の私と同じ状況にある母親たちに、支援は届くようになったのだろうか。








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Last updated  2008.12.01 11:58:05
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