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わたしのブログ

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続きです。

昭和二十年三月頃、東京もついに爆撃されたという情報が入る。在満部隊は非常配備に着いた。関東軍は大変だ。特にソ連国境に力を入れたそうだ。患者はどんどん原隊復帰していく。私は相変わらず夜警だ。実砲を渡されたのもこの頃だと思われる。「野犬は撃っても満人は撃つな。)という指令が来たのもこの頃だろう。「これはただ事ではないな。」と思った。
 二十年六月、七月で夏になった。外出するたびにスイカ畑に行って牛蒡剣で二つに割り片方で手を洗い片方を食べる。
 帰りにきゅうり二つ、スイカ一つを持って病院の外塀のところで「五病棟いるか?」といえば、チャント五病棟の患者が待っていることになっている。塀の下から転がしてやると「お世話になりました。」と言って帰っていく。
 衛兵所を素手で通り病棟に帰ると部屋長が「すまん脳。お陰で生ものが久しぶりに食えたワイ。オオキニ。」といわれるけれど、病院に知れたら大変なことになる。
 私は「渡したら、後は部屋長に責任があるんだよ。上手に頼みます。」といったら「あぁ、エートモ。アンジョウやるデナ。」ニコニコ顔だ。この伍長いつまでいるのかとと思って事務所で病症日誌を見たら肋膜炎だ。先が思いやられる。相当悪いようである。
 私は準衛生兵としてどこの病棟へ行っても、上官に敬礼する必要が無い。いつでも勤務中なのである。衛生兵同士でも同じことで、病院の方でも私をいつでも自由に使える。まったく便利に出来ている。退屈どころか忙しい。まったく面白い役だ。実に奇妙な兵隊になったものである。


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