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わたしのブログ

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続きです。

そのときのことである。「台山屯と言う所に北村と言う・・・りんご園・・が病人を抱えて女子供、八人家族で、周りが皆満人だがおじいさんか良い人で昔から満人を可愛がっていたので、今の所は安全なんだけれど、ソ連兵が入ってくるようではもう危ない。誰か男の人を世話してくれと頼まれているので台山屯兵って見なさい。」と言われた。
 渡りに船とはこのことをいうのだろう。その日のうちに地図を見ながら行って見た。大正広場から大連機械というところを通り小高い山が北村農園だ。入り口から入ってみるとレンガ造りの二階建ての割りに大きな家だ。私は「藤枝さんから聞いてきた。」というと、頭にこぶのあるお爺さんが出てきて,「あぁ、そうですか。良く来てくれたね。さあ、お入りなさい。」と家の中に入れてくれた。「片山と言うものです。」「これ皆出てきなさい。」と呼ぶ声でぞろぞろ出てきた。娘が三人、男の子一人、奥さん、お婆ちゃん、奥のベッドに十八くらいの男病人で、どうも結核らしい。これではおじいちゃん一人では大変だ。
 こんな所が北村一家との出会いである。皆の紹介があった。長男は病人で十八歳。長女美佐子、芙蓉高女三年生十五歳。次男哲夫小学校三年生九歳。次女千鶴子、芙蓉高女一年生、十三歳。母、君枝四十位。主人は海軍出征中。おばあさん六十歳位。御爺ちゃん、六十五歳位。このような大家族である。正直驚いた。
 日露戦争のとき軍属で来て軍から山一つ払い下げてもらったそうだ。お婆ちゃんはおじいちゃんが恋しくて追ってきたらしい。来るとき山の入り口に交番があった。保安隊がいて「どこへ行く」と問われたが「北村へいく。」と答えると直ぐに通してくれた。これでおじいちゃんの人徳がわかった。湾人も理解しているようである。


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