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わたしのブログ

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続きです。

その晩、面白い会話があった。この家には二十五、六歳の女が七人くらいいる。私が「あんたは、相当、勢力旺盛だね。」といったら「とんでもない、これは皆、私の商売です。シーフ(夫人)は一人おりますがね。」よくよく訳を聞くと、次の通りに説明した。「私は漢方医学を学び、親代代続いている家伝の秘薬を製造・販売しているですよ。高貴薬ですね、あの女たちは、年間いくらで買っているんですょ。」「どんな薬か?」聞くと、「女の月経血をある生薬と混合して生成するとこの薬が出来る。この薬をセックスするときつける。こちらは毎日飲む。」いろんな薬を出して見せてくれた。「昔、楊貴妃が愛用した記録もあります。」次第に幻想的な話になってきた。「楊貴妃は何歳で殺されたのか。」二十歳くらいのことだったようである「なぞはこの薬ですょ。」との事。話は尽きないけれど、そのうちに、「ところで、シーサン、私に日本人の子供を世話してください。私は親日派で巣。これから四十年後、股、日本人が中国に来る、着てもらわなければ中国も困るのです。そのときまでに、もらった子供を北京大学に入れて跡継ぎにするつもりでいます。そして、今まで通りに手を取り合う。私の家は日系にしておきたい。男でも女でも良い。大事に育てます。」と真剣な話だ。(今になって思い起こせば彼の予想したとおりになっているじゃないか。よほどのインテリだったと思われる。)
 私は困ったが、「そのうちに良い子を世話します。」とごまかしてその晩は泊まりチャチョで浪花町に帰って来た。修理代は千円もらったと思う。これで糖分お金には困らなくなった。キクヤ百貨店のラジオ屋までヂャングイが送ってくれた。別れるときに「また、逢いましょう。そのときは店に連絡します。有難う。」といって帰っていった。
 店の女の子が私に「あの人は絶対大丈夫よ。良かったわね。これからどこへ行くの。」というので「行く所はない。どこへ行こうか考えている所だ。」というと「じゃあ、私の家に来ない?兄さんと二人で暮らしなの、兄は満鉄の通信の方をやっているのよ。満鉄の官舎だから安全ょ。」行くことにした。「もうじき三時になるから待っていてよ。」といわれ、三時過ぎに彼女と二人で歩いて松山町という所に来た。電車どおりの右側にレンガ造りの門があってロシア語で何か書いてある。その門を入り四階建ての二階に入った。この子の名前は何々広子としか覚えていない。


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