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わたしのブログ

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続きです。

早速、イワノフの家に行った。広子さんのいる松山町で左に折れてしばらく行くと左側の大きな家だ。門を入り、洋間に通された。「仕事はショート・ウーブをロング・ウエーブに治してソ連国内の放送が一つでも受信できれば良いのです。チタ、モスクワ、ウラシオストック、どれでも一つ入ればよいのです。改造機は今ここに五台あります。」とアメリカ製のビクター五球スーパーで私も始めてみるラジオだった.全部メタルチューブで中間周波トランス、265KC、各抵抗器は色別番号で私には検討が付かない。イワノフに「RCAのサービス・ブックを出してくれないか?ついでにテスト・オシレーターも何とかしてくれ。」と言うと「ハイ、今晩持ってきます。」と言って出て行った。スーパーは勉強してあったので大体わかっていた。その日から約十日間くらい、サービス・ブックで勉強した。やっと高周波チョークをアンテナ・コイルにすれば聞こえることがわかった。イワノフもかなり喜んで出来上がったラジオを配達して朝帰ってくる。私は昼。寝ることになった。
 ある日。宗の所へ電話してみた。宗が出たので「片山だが」と言うと「片山さん、あんた酷い人だね。私の店どうしてくれる。ヤーメン(警察)に言う。」と怒っているので{今、ターピーズと一緒に松山町でラジオの修理をしている。いうことがあったらヤーメンでもどこへでも言っていいょ。それとも私の方でターピーズをつれてあんたのところへ行こうか?」・・・と言うと「アイヤー、メンファーズ。」(口惜しいが、仕方がない)と言った。電話を切って「ザマーミロ。」と思い胸がスーとした。もう満人なんか恐ろしくない。「くそ食らえだ。」私はイワノフに「一日休む。」と言うと「片山さん明日休みなさい。夜になったら帰りなさい。」と言って出て行った。


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