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「楽譜に注意点を書き込む」
という、とても当たり前のことを、生徒たち自身にやらせるようになりました。 どんな言葉を使ってもいいから、ここを直すために自分で意識しやすい言葉やマークを書き込んでみて! この時間を持つことによって、私自身が、本当にたくさんのことを気づかされました。 ただ、音を認識する、という一点ですら、一人一人が 楽譜を設計図のように図面としてとらえていたり、 ドレミ・・という音の名前でとらえていたり、 鍵盤の相関図をアタマに描くことでとらえていたり、 本当に違う世界を生きていました。 弾いていないときに、ある情報を処理する脳と、弾いているときにその情報を処理する脳が違うことは、往々にしてあります。 だから「自分にわからせるように」というと、みんな、本当に不思議そうに立ち止まり、 「自分にわからせるって難しい!!」と笑い、 「自分に伝わった!」という時にものすごく喜びます。 自分への伝言ゲームを楽しみはじめる様を眺めながら、 人は案外、自分とうまくコミュニケーションがとれていないらしいなぁと思いました。 彼らが自分にわからせようとして、部分を抽出して繰り返したり、自分向けのマークを開発したり、それが自然に練習の形態になっていきました。 練習は自分への伝言ゲームを強化するために、自分が自分に対して行うものである、ということを、ここまで生徒自身が裏付けてくれることに感謝しました。 生徒達は、こうやって「自分」を確立していくようだとも教わりました。 私との境界線が、しっかりと区切られ、「自分にわからせることができるのは自分だけなのだ」という自信を得て、そして次に私を見つめるときに、 私が彼らにとって「他者」であることをしっかり認識し始めるようでした。 先生は、私ではないのに、私のことを自分のことみたいに喜んでくれるんだね、と、子どもの言葉で伝えてもらえて、とても嬉しく思いました。 生徒と私の関係がまた少し変わりました。 まるで一緒に散歩しているような気持ちになりました。 うちの教室には「空手道」や「華道」や「書道」のような「道」という意味合いを込めて、名前をつけました。でも、そのときに、同時に「横丁」や「小路」という単に場所を示す意味も込めたかったのですが、半年ほど経てようやくその二つが重なった気がします。 ピアノ道だけど、ピアノ散歩道でもある。 なんとなく私が私にリラックスしてバトンを渡したような感覚がありました。 ふぇーーーー。この半年は、疲れたけど、とりあえず、1ミッション終了だなぁ。 昨日はとても変な日で、ただ歩いているだけでも、運転しているだけでも、鳥と蝶が(おまけに蛾が)腹立たしいほど?目の前をよぎっていきました。危ないっつーの。 そのうち、ヒッチコックの「鳥」みたいに、ホームアローンの鳥おばさんみたいに、あるいはミツバチおじさんみたいに、鳥まみれになったらどうしよう。(←ならないならない) 鳥まみれならまだいいとしても、鳥のフンまみれになったらどうしよう。(←困る困る) そして、たまたま目の合う全く知らない人たちが、なぜかぺこりとアタマを下げてくれた日でもありました。こんなに知り合いがいたら困るー。おっかないよー。 教室の鉢植えは、これまたおっかないほど元気で、葉は気持ち悪いほどでかくなり、枝は気持ち悪いほどゴリゴリと増え、カポックの鉢からは突然に双葉が飛び出してきました。森に飲み込まれちゃうーーーー。(←ならないならない) きっともうすぐ夏ってことね。なんだかわかんないけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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