無秩序な集団のなかに「いじめ」が発生する
いじめから子供を守ろう!ネットワーク編の「いじめは犯罪!絶対に許さない」という本を読み返しています。 この中に、渡部昇一先生の「いじめを克服するために何が必要か」という基調講演が収録されています。 いじめには、「場(空間)」「ボス」 「ふつうの子ども」という、3つの要素があるそうです。 その中の、「ボス」に関するところを抜粋してみます。 学校の先生はボスです。 このボスがしっかりしておれば、つまり、学校の中に権威による秩序があれば、いじめはほとんど起きないと思うのです。戦前は「教育勅語」が教育の一番の中心であり、「修身」科は最も重要な授業として校長が教えましたので、校長資格のためには、修身科が必須であったという時代がありました。 (中略) ついこの間、安倍内閣が改編する前の教育基本法というのは、教育勅語がまだあるうちに作られたものでした。つまり、道徳のことは基本教育法に取り込む必要がなかったわけです。ところが間もなく教育勅語が排除され失効したため、二輪車のはずが一輪車になってしまったかたちで、日本では戦後ずっと道徳不在の状態が続いてきたわけです。 しかし、教育勅語の排除を指示したアメリカでは、初等教育は勉強なんかよりは道徳教育、特に、愛国教育なんです。たとえば、幼稚園でも小学校でも「私はアメリカ国家、それを象徴する国旗に忠誠を誓います」というようなことを毎日言わせます。教室には国旗が飾ってあり、正当なる権威には尊敬をせよと教えます。大統領はみんなが選んだ人ですから、どんな大きな集会でも、大統領が来たら全員パッと起立する、というようなことを、子どもに教えているんです。そうした道徳教育を、日本ではすべて排除してしまっているのです。 教育勅語の廃止によって、「何を教えるのか」というようなバックボーンがなくなって、ボスの質も変わりました。教員は単なる労働者であり、校長先生や管理職の先生であっても、いかなる権威も認められないというような考え方になりました。権威がぶっ壊れているところでは、無法状態があり、無法状態で一番現れやすいのは「いじめ」ということです。