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テツの「PuraVida!」日記

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2006/09/24
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カテゴリ:おもふ
この日の高校生の練習試合は、
同じ学区にある賢き学校、都立F高校。

もちろん名前は知ってましたが、行くのは初めて。
どこの駅にあるかすら知りませんでした。
まったくもって、とぼけた野郎です。

“暗記”が何よりの苦手種目。
地図で行き方を必死に必死に覚え、
原付きにて出動、で無事に到着。

大きな通りを3回曲がる、
という難しい暗記ができた自分を
たっぷり褒めてあげました。
みんなからも褒めてあげてください、
彼は褒められて伸びる子なので。



F高校に着いてびっくり。
そこの周辺は俺にとって思い出の地だったのです。

もう7、8年前のことなのかな。
F高校の隣の病院に何回も来ていました。
俺の大好きだったおばあちゃんが、
この世から旅立ったメモリアルな場所。

うちら3兄弟は、
おばあちゃんのことを“大ママ”って呼んでました。
きっと“大きいママ”ってことなんでしょう。
ちなみにおじいちゃんはやっぱり“大パパ”。



大ママは、母方の祖母。
俺の母“トシコ”は
ひとり旅したり、ブログをやったり、
遊び好きで、ジッとしていられないタイプ。
それはやはり大ママ譲り。

新宿にあった大ママの家。
2階には麻雀卓があって常に人が集まっては熱い闘いを。
麻雀中にいつも頼む出前の中華屋さんは、
ピンポンも押さずそのまま2階に運んできてくれてました。

麻雀をやってない時には、ファミコン。
ハマってたのは『上海』。
頭を使うものが好きだったので、
クロスワードやパズルも毎日のようにやってたようです。

そして、
2階の部屋の壁に貼られてたのは、
SMAPの中居くんのポスター。
大ママはよく言ってました。


 「この子は気を使えていい子なんだよ~。」


テレビに映る人はみな、お友達だったようです(笑)。



“おばあちゃんっ子”だったうちら3兄弟は、
大ママに会えるのが、話を聴いてもらえるのが
何より楽しみで、楽しみで。

いつでもうちらがやってる好きなことを
応援してくれ、認めてくれ、褒めてくれてました。

サッカーだって、
ファミコンだって、
ビックリマンのシール集めだって、
駄菓子屋でお菓子を箱買いすることだって。

俺が体育以外で初めてで唯一好きになった勉強は英語。
それは大ママが丁寧に教えてくれて、褒めてくれたから。
もし英語が好きじゃなかったら
外国に行くこともなかったのかもしれません。

大ママは俺に英語だけじゃなくて、
自分も周りも「楽しく生きていく方法」みたいのを
こーっそりと教えてくれてたんですね。



そして、7,8年程前。
大ママの家に何かを運びに行った時のこと。

家に入った瞬間、
何となくいつもと違うように思えました。
重いような暗いような空気を感じたのです。

「大ママのために何かしなきゃ。」
頭じゃなくて、心がそう合図しました。

大好きな大ママが
喜んでくれそうなことは何なんだろう。
とにかく笑顔になるようなことを。

あることを思いついて、弟2人にそれを提案しました。



数週間後。
中野区あたりのファミレス『ロイヤルホスト』。
そこに集まったのは、うちら3兄弟と
当時付き合っていたそれぞれの彼女3人の計6人。


 前に大ママが俺にくれたお小遣い。
 俺が拒否し続けても頑なに渡してきたので、
 ひとまず受け取り、とっておきました。
 
 それを使ってみんなで食事をしよう。
 で、そこで写真を撮って大ママにプレゼントしよう。


俺に出来た目一杯の想像。
そして、みんなで集まり楽しく食事をして、
店員さんに頼んで集合写真を撮ってもらいました。

うちら兄弟が
初めて自分たちから撮った
兄弟の集合写真。



数日後、大ママに写真を渡すと、
久しぶりに見れた本当に本当に嬉しそうな顔。
家の中の空気が明るく動いたような気がしました。



それから数か月後、
大ママは体調を崩し、
都立F高校の隣の病院に入院。

病院でも変わらずに
うちらに笑顔を見せてくれ、
手を握り返してくれ、愛をくれてました。



そして、穏やかに旅立って行きました。



俺は大ママのお葬式の時、
ほとんど涙が出ませんでした。
あんなに大好きだったのに。

自分は冷たい人間なんだって
しばらく自己嫌悪に陥っていました。

もしかしたら、そうなのかもしれません。
でも、もしかしたら、こうなのかもしれません。

また会えるって確信してるから。



都立F高校の隣の病院を見て、
その時のことを思い出していました。

不思議だったのは
大ママがいなくなってしまった悲しい事実より
大ママと過ごしたかけがえのない
素敵な日々の思い出のほうが蘇ってくること。

大事な人の死というのは、
自分の人生の暗くて見えてなかった部分を
そっと照らしてくれるものなのかもしれません。

そして、その照らされた先には
絶対に忘れちゃいけない大切なものが
ぽつんと置いてあるんだと思います。



いつまでも、大切なあなたに「ありがとう」を。





『大きな仕組みのなかで、この世は動いている。』
                作家・吉本ばなな





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Last updated  2006/09/26 08:27:10 PM
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