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カテゴリ:バンコクを歩く
なんと、御無礼な題名! お釈迦様でも失恋経験者なのか?!今世紀の最大、新発見になるか! いや、いや、実は、ある古い仏像の由来で、国民の口語では「胸割れ釈迦」と言って、今のバンコク都庁の観光推進課の英訳担当者が、これを「BROKEN-HEARTED-BUDDHA-IMMAGE」と訳した。 ワット・ポー(涅槃寺院、通称は「ワット・ポー」だが、正式名は「ワット・プラチェッテュウポン・ウィモンマンカララム」)を訪問する海外観光客だけではなく、現地のタイ人でも、殆どが「涅槃」のお姿を見るだけで満足(?)して帰ってしまう。 一部の人は、近年の健康ブームに脚光浴びたタイ伝統医学大学のタイ式マッサージ学部に目付き、マッサージサービスコーナーを試していい気分に旅を修了してしまう。 「涅槃釈迦」の美しさは頭部の先端からお足の裏までの隅々ですので、魅了されることは当然のかもしれないが、実は首長く来訪者を待っている! 最も大事な仏像が隣の堂におる。 それは「プラ・プッタロッカナート」という名を持った仏像。アユタヤ時代に造られたもので、菩提樹の木1本彫り立像姿、「ワット・プラサンペット」寺院に祭られた。 アユタヤ王朝が滅びる前に、前兆(予示)になる数々の「異変」が起きた。「古都古事記」に記したその一例が、この「プラ・プッタロッカナート」仏像が、突然胸から2分に分割してしまった事。 その後、ラマ1世王がバンコク王朝を創立した際、王宮と専用寺院(エメラルド寺院)を創られ、ついでに、それまであった隣接している古いお寺(アユタヤ時代から建てた)「ワット・ポータラム」を全体修復し「王室寺院」とランクアップさせ、正式名を付けられた。そのきっかけ、「プラ・プッタロッカナート」仏像はここへ移動され、祭られた。後、ラマ3世王が、御自分の「曜日仏像」を「涅槃釈迦」と新しい本堂を創られた。 「プラ・プッタロッカナート」立像は片手を胸の高さに上げる。釈迦様は座禅修行中、悪魔が修行中断しようとした際、その煩悩を押さえるお姿の意味。 画像は、ワット・ポーのマスターピースである「涅槃釈迦」。頭部先端から全身総べてが美しい。両足の裏には螺鈿細工で釈迦の一生をモチーフにしたもの。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 16, 2005 11:31:37 PM
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