20.グループ・サウンズ(GS)VOL:2

グループ・サウンズ(GS)VOL:2


アウト・キャスト


アウトキャスト

"アウト・キャスト"の中心メンバーの水谷 淳(後に公生)は日大鶴が丘高校在籍中からギターのテクニックは評判になっており、松崎澄夫(水谷の中学時代からの友達で後の、轟 健二))らと、セミ・プロとしてダンス・ホールなどで演奏をしていた。

その後、水谷は、、寺内タケシにアンサンブルやアレンジを習うようになる。

そして、水谷が17歳の時、寺内タケシから渡辺プロで新しいバンドをつくるので参加しないかと誘われる。

エレキ・インストバンドの"ブルー・エース"にメンバーに加わりエレキ・トーナメント・ショーにレギュラー出演する。

しかし、渡辺プロは、プロダクション第一号として結成したバンドではあるが、新しい時代のニーズには、この"ブルー・エース"では応えられないと判断し、水谷 淳を中心にGSスタイルのバンドに編成をし直す。

"アウト・キャスト"として、'66年6月に結成された。このバンドは、東京のアマチア・バンドから選りすぐりのメンバーで構成された。

メンバーは、水谷 淳(Lg)、大野良二(Bg)、藤田浩一(Rg)、穂口雄右(O)、中沢啓光(Ds)、轟 健二(Vo)の6人。

バンドの末期には、メンバーが大きく変わり、大野良二(Bg)、谷 かつみ(Vo)、菅野吉治(O)、朝倉幸夫(Ds)、岡本 修(Vo)の5人となる。

"アウト・キャスト"は、'66年1月25日にテイチクから「友達になろう/気ままなシェリー」でレコート゜・デビューする。が、殆どヒットせずこの後もレコードをリリースするがヒットすることはなかった。しかし、現在、"アウト・キャスト"が作った曲(殆どが名曲)が海外で脚光を浴びている。

レコードのヒット曲はないが、"アウト・キャスト"の演奏テクニックは飛びぬけており、GS界の最高傑作LPと云われている、"タイガース"の「ヒューマン・ルネサンス」('66年11月ポリドールより発売)のバックを務めた。その他、当時渡辺プロのアーティストたちのサポートも務めたりしている。

最終的には、メンバーの脱退などで'68年3月に解散する。

"アウト・キャスト"はデビューから解散までに、次の6枚のシングル・レコードを発売した。

「友達になろう/気ままなシェリー」'67年1月25日発売、「愛することは誰でもできる/電話でいいから」'67年4月発売、「レッツ・ゴー・オン・ザ・ビーチ/エンピツが一本」'67年7月発売、「一日だけの恋/僕のそばから」'67年10月1日発売、「愛なき夜明け/ふたりの秘密」'68年1月10日発売、「空に書いたラブレター/君を慕いて」'68年6月5日発売(全て、テイチクより)

この後、渡辺プロは、"アウト・キャスト"の水谷らの初期メンバーで新たなバンドを結成する。

それが、設立間もないCBSソニーの社運を架けた第一号の"アダムス"である。しかし、現実的には失敗に終わった。


アダムス


アダムス 旧約聖書

"アダムス"は、'68年6月に活動を開始するものの、レコード・セールスは芳しくはなかったが、今日では、シンフォニック・ロックやニュー・ロックの先駆けとなったバンドであったことは広く知れ渡っている。'69年に解散する。

メンバーは、水谷公生(Lg)、千原秀明(Bg)、土屋 守(O)、川上幸夫(DS)、轟 健二(Vo)の5人。

"アダムス"はデビューから解散までに、次の5枚のシングル・レコードを発売した。

「旧約聖書/ギリシャの丘」'68年9月5日発売、「眠れる乙女/砂のお城」'68年12月10日発売、「地球はせますぎる/にくい時計」'69年5月発売、「明日なき世//影」'69年9月発売、「アダム&イヴ/つまんない」発売日未確認

更に、この後、GS時代の末期には、藤田浩一を中心にして'67年に"ザ・ラヴ"としてバンドが分家していく。解散は翌年。

ラヴはデビューから解散までに、次の1枚のシングル・レコードを発売した。

「イカルスの星/ワンス・アゲイン」'69年3月10日東芝エキスプレスより発売


オックス


オックス

"オックス"は元祖失神バンドの異名をとり、話題性においてはGS界において燦然と輝くバンドである。

'67年に"ザ・キングス"を脱退した福井利夫と岩田裕二が中心になり結成したバンドで結成後、大阪のジャズ喫茶ナンバ一番でインスト中心に活動をスタートさせる。

大阪での人気を聞きつけたGAP(現、ホリプロ)にスカウトされ上京すしプロとしてデビューする。

メンバーは、福井利夫(Bg)、岩田裕二(Ds)、岡田志郎(Lg)、赤松 愛(O)、野口ヒデト(Vo)の5人。赤松が脱退した後に田浦ユキ(O9が'69年5月から加入

当時のステージでは、かなりやんちゃで、ステージ上で喧嘩(赤松 愛が中心)したり楽器を壊したりいやはや滅茶苦茶だった。

'68年5月5日にビクターより「ガール・フレンド/花の指環」でレコード・デビューする。赤松 愛の中性的な魅力と野口ヒデト、岡田志郎のアイドル性があったことで一躍、"タイガース"、"テンプターズ"に次いで人気のあるバンドとして活動を行う。

だが一方、ステージ上で過激なパフォーマンスなどにより教育委員会などからエレキ追放の標的になったバンドであり、赤松 愛がオルガンの演奏中に失神し同時にエキサイトした観客も失神するという現象が社会問題となり大きく世論からバッシングを受けたバンドでもあった。

しかし、社会から批判を浴びれば浴びるほど、人気はさらに高まっていき、その後のレコードも爆発的にヒットする。

人気絶頂の、'69年4月に赤松 愛が脱退する。(「芸能界に飽きた。ジョン・レノンの弟子になる」と名言を残し去った)

この後、新メンバーが加入するが、歌謡曲路線に入りバンドの人気は急降下していく。

過激派バンドと称されたものの、GSの衰退と共に'71年5月に解散する。

"オックス"はデビューから解散までに、次の9枚のシングル・レコードを発売した。

「ガール・フレンド/花の指環」'68年5月5日発売、「ダンシング・セブンティーン/僕のハートをどうぞ」'68年9月5日発売、「スワンの涙/オックス・クライ」'68年12月10日発売、「僕は燃えている/夜明けのオックス」'69年3月25日発売、「ロザリオは永遠に/真夏のフラメンコ」'69年6月25日発売、「神にそむいて/夜明けの光」'69年10月10日発売、「許してくれ/ジャスト・ア・リトル・ラブ」'70年2月5日発売、「僕をあげます/花の時間」'70年5月5日発売、「もうどうにもならない/ふりむきもしないで」'70年12月5日発売(全て、ビクターより発売)


ザ・リンド&リンダース


リンド&リンダース

"リンド&リンダース"は関西のスパイダースの異名をとり、加藤ヒロシが中心となって、'65年8月に結成された、"ザ・リンド"が母体である。すぐさま、関西でナンバーワンのエレキ・バンドとなる。その後、ニーズに即応してボーカルを補充してこれを"ザ・リンダース"とした。

演奏は"リンド"、ボーカルは"リンダース"に分けたユニークな編成であった。

この連合軍で、"リンド&リンダース"として活動を開始する。

メンバーは、加藤ヒロシ(Lg)、宇野山和夫(Bg)、島 明男(Ds)、高木カズキ(Sg)、加賀テツヤ(Vo)、榊 テルオ(Vo)、迎 修二(Vo)の7人。後に高木カズキらが脱退して、堀 こうじ(Sg)、浜田フジ丸(Ds)が'67年から加入、更に宇野山和夫が脱退し、毛利アキが'68年から加入する。

'67年2月に"リンダース"の加賀テツヤのソロでフィリップスより「ギターの子守唄/ギター子守唄(インスト)」でデビュー。

しかし、メンバー間の対立などにより自然と派閥ができ、加藤派と高木派に別れるようになる。

高木和幸らはバンドを脱退し、"ザ・サニー・ファイブ"を結成する。

加藤ヒロシたちは、バンドの危機を乗り越え、"リンド&リンダース"として本格的にGS路線に入っていく。ステージ上では演奏中に出前を取り食事したり、ヌード・グラビアで週刊誌に出たり、衛星中継を使用して海外にライブ放送したり、数々のハチャメチャをしたグループとしても有名である。

爆発的なヒット曲は「銀の鎖」以降恵まれなかったが、しかし、演奏の腕前は折り紙つきであった。

GSの衰退と共に'70年に解散する。

"リンド&リンダース"はデビューから解散までに、次の7枚のシングル・レコードを発売した。

「ギターの子守唄/ギター子守唄(インスト)」'67年2月発売、「燃えろサーキット/ドゥー・ザ・クラップ」'67年3月1日発売、「売られたギター/あした陽が昇ったら」'67年8月25日発売、「銀の鎖/恋にしびれて」'68年1月25日発売、「夕陽よいそげ/はなれぼっち」'68年5月25日発売、「ハ・ハ・ハ/フォー・ディズ・ラブ(四日の恋)」'68年8月25日発売、「夜明けの十字架/さよならアリババ3世」'68年11月発売(全て、フィリップスより発売)




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