楽しき家族と膨らむ夢(文中敬称略)
2011年11月17日付 讀賣新聞社 朝刊【時代の証言者】より引用
僕は高校1年時、加山 雄三さんに出会って以来、たくさんの優秀な人たちに巡り合ってきました。
ムッシユかまやつさん、寺内 タケシさん、宮川 泰さん━━みんなそうでした。
僕は背中を押され、次の階段に進んでいけた。
ジュリー(沢田 研二さん)やワイルドワンズのメンバーとの出会いもすごくラッキーでした。
そして家族にも本当に恵まれました。
結婚は1975年(昭和50年)、34歳の時でした。
ジュリーとの仕事で忙しかったころです。
妻は10歳年下。
国内線の客室乗務員をしていました。
友達の紹介で初めて会った日の別れ際、僕は無意識のうちにこう言っていた。
「結婚を前提につきあってほしい」
それまで結婚など考えたこともなかった。
家に帰って初めて「ああ、僕は結婚したいんだ」と思いました。
彼女のことはまだほとんど何も知らなかった。
直感だったんでしょうね。
いい家庭が築けそうだと。
数か月後に結婚しました。
自画自賛ですが、2人の息子はいい子に育ってくれた。
家族の仲もいい。
妻はすごくまじめ。
僕は正反対でだらしない。
それがよかったのかな。
僕は勉強しろとか言わない。
そのぶん妻がきちんとやってくれた。
感謝しています。
長男はいま宇都宮の幼稚園の先生をしています。
大学を出て大手の電機会社に入って約8か月後、彼は「幼稚園で働きたい」と言いだした。
僕が「お金がいまほどもらえないかもしれないよ」と話すと、「子供たちを喜ばすことができれば質素な生活でいい」と。
それならいい、と思いました。
彼の人生ですから。
次男は大学を出た後、僕が銀座でやっているライブハウスを手伝っています。
僕には大きな夢がいくつかあります。
一つは楽しく遊べる老人ホーム「ピンクホーム」をつくることです。
建物は名の通りピンク色。
ダンスやコーラスのチームを作ったり、畑を耕したり、遊び心のある施設にする。
うまくいったら全国に建てたい。
これは長男と一緒にやりたいと考えています。
もう一つの夢は、外国人観光客が楽しめるライブハウスをつくることです。
1960~80年代に世界でヒットした曲を、いろいろな国のミュージシャンを集めて聴かせる。
400人くらい入れるテント小屋を考えています。
東京で3~4年後には始めたいですね。
≪発想の源は観光客でにぎわうニューヨークのジャズクラブ「ブルー・ノート」。そのポップス版を目指す≫
成功したら外国にも輸出したい。
僕は絶対できると思う。
こちらは次男とやりたいと考えています。
もう一つ、音楽ではもっと大きな夢があるんです。
↑の記事の画像の下には、加瀬さん一家。左から長男の公貴さん、加瀬さん、妻の泰子さん、次男の友貴さん(19987年頃)
この掲載は、27日間ありました。連続でご紹介できなかったが、次回が【最終回】です。
P.S.:今現在、曇天です。
昨日までの暑さはないね。
だけど、これで雨が降れば、ムシムシと湿度もあがり不快になるんだろうか?
ザ・テンプーズの「雨よふらないで」でもこの後、聴こうおっと!
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