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解説
夏の夕暮れ、走って通り過ぎる牛車に涼味を感じることを述べた段。その涼感の快さから、牛のしりがいの、常ならば異様な香りさえ「をかし」と感じられるし、また、夏のやみの中を車を走らせるとき、やにくさいたいまつの香が車のなかににおってくるのもよい。――かすかなにおいをとらえているところに感覚の鋭さがある。 いみじう暑きころ、夕涼みといふほど、物のさまなどもおぼめかしきに、男車の前駆追ふはいふべきにもあらず、ただの人も、後のすだれあげて、二人も、一人も、乗りて走らせ行くこそ涼しけれ。まして琵琶かい調べ、笛の音など聞こえたるは、過ぎて去ぬるも口惜し。さやうなるに、牛の鞦の香の、なほあやしう嗅ぎ知らぬものなれど、をかしきこそもの狂ほしけれ。 いと暗う、やみなるに、前にともしたる松の煙の香の、車の内にかかへたるもをかし。 読解の要点 前・後段に分かれているのはなぜかをまず考えよう。それは「場面」が違うからである。時刻、とくに作者の位置について考えてみよう。さて前段だが、「前駆追ふ」男車、これは次の「ただの人も……」対照されている点に目をつけよう。また「琵琶」・「笛の音」がどこから聞こえるのか、これは「過ぎて去ぬる」の叙述に注意しよう。「なほ……なれど」は挿入句で「嗅ぎ知らぬ」は「嗅ぎなれない」意。後段の「かかふ」は「におう」意。「松」は古文にはよく出る語である。 口訳 たいへん暑いころ、夕涼みでもしようかという時分で、あたりの様子などもはっきりしない夕やみ時に、男車で、さき払いをしてゆく《ほどの身分の高い人の車》はいうまでもなく、普通の身分の人《の車》でも、うしろの簾をまきあげて、二人でも、一人でも、乗って走らせて行くのは、涼しそうである。まして、《その車から》琵琶をかき鳴らしたり、笛を吹く音などが聞こえてくるのは、《車が》通り過ぎて行ってしまうのも、残り惜しい。そのような折に、牛の鞦のにおいが――《これは》やはり奇妙《なにおい》で、かぎつけないものなのだが――おもしろく感じられるのも、正気とは思えない。 たいそう暗く、やみ夜である時に、車の前に《供人が》ともしているたいまつの煙のにおいが、車の中にただよってくるのもおもしろい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年01月15日 02時14分05秒
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