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 縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)         忍海部造(おしぬみべのみやつこ) 細目

縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと) 忍海部造(おしぬみべのみやつこ) 細目

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2010年05月14日
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 日本における鉄の生産は弥生時代の後期から始まったとの説がありますが、鉄を
生産するタタラの痕跡が発見されておらず、一つの古墳から鉄刀など、鉄製武器
が200本、300本と出ている5世紀が始めと考えます。
『三国志』の東夷伝の弁辰条(べんしんじょう)は加羅、日本では任那といって
いる地方に、「国、鉄を出す。韓・諸・iわい)・倭皆従いてこれを取る」とあり
、最初は朝鮮の鉄が日本に持ちこまれてきたらしい。
おそくとも、5世紀の段階では日本国内でも鉄生産が行なわれ、中国地方の砂鉄生
産が古代における日本の鉄生産の中心地域で、それを押さえていたのが吉備氏で
あるといわれています。
『日本書紀』の神功5年に、葛城襲津彦(かずらぎのそつひこ)が新羅に行って俘
人(とりこ)を連れてきたとあり、製鉄や鍛冶の技術は渡来人によって伝えられ
たと考えられ、この新羅から連れてきた俘人たちが、今の蔦城の地域の桑原・佐
糜(さび)・高宮・忍海(おしぬみ)という4つの邑にいる漢人の祖であるとあり
ます。
葛上(南葛城)郡・葛下(北葛城)郡のあいだに、忍海郡という小さな郡があり
、いま御所市と高田市の間の新庄町あたりになるかと思いますが、そこに製鉄技
術者が住みついて、製鉄に従事していました。
その技術者を部として組織して忍海部と呼んでいたと思いますが忍海部
はやがて各地に広がり、製鉄技術を各地に伝えたようです。
『日本書紀』の清寧(せいねい)2年の条や顕宗(けんぞう)前紀に、播磨の明石
郡に忍海部造細目(おしぬみべみやつこほそめ)という人のことが見えます。
播磨の明石郡の北が美嚢郡(みのう)で、縮見屯倉                                                    
(しじみのみやけ)があって、忍海部造細目というのはこの屯倉の首(おびと・管理
人)です。
細目というのはおもしろい名前です。製鉄とか鋳物の神様は片目の神様が
多いのです。
『延喜式』には天目一神(あめのまひとつ)や天一神玉神(あめひとつかんたま
)という名の神がおられ、
天目一神   天目一神は多可郡、

天一神玉神 天一神玉神は佐用郡に鎮座しています

刀を鍛えるのに片目をつぶって見ますし、トンカチトンカチやっているうちに、
火花で目をつぶす機会が多いということで、鍛冶の神、製鉄の神は一つ目の神と
なったと思われ、天目一神はそういう神です。一つ目小僧は、鍛冶の神の衰退し
たものといわれています。
中国山脈の砂鉄の鉱脈は岡山県で終わるのではなく、播州に続いていて、『播磨
国風土記』に、讃容郡(佐用郡)からその隣の宍禾郡(しさわ・宍粟郡)にかけ
て、鉄を産すとあり、兵庫県まで続いているのです。その山の中にこういう神社
があるのです。








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最終更新日  2010年05月14日 18時38分07秒
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