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カテゴリ:音楽
■その人そのものよりも、その人が何を好きかで、その人のことを信用してしまうことがある。僕の場合はゲームソフト「マザー」が好きな人に対してはかなり絶対的にこの人は大丈夫だと思ってしまうような所があって、たぶんその考えはだいたい当たっている。
■中村君がマザー3をプレイした感想を読んで、すごく彼らしいなと感じるのは、溢れる想いと言葉なんだと思う。この人はちょっと考えすぎるくらいに色んな事について考えてしまう人なんだろうと思う。もう少し肩の力抜けよとか、そんなにこねくり回したら結局最初に戻るだけじゃないか、なんて他人のアドバイスを抜きにしたところから発信された音楽だ。 ■閉ざされた彼の部屋でできた楽曲たちは、それゆえ悩み多き者たちには共感の嵐だった。狭い部屋でヘッドフォンで聴いた「金字塔」や「太陽」の身に浸みるメッセージは僕の中村一義、あたしの中村一義であって、私たちの中村一義にだけはなってもらいたくないようなえらくプライベートな宝物だった。 ■彼自身が届けたかった対象が不特定多数の誰かではなく、確かな人格を持った個人だったからこそ響いてくる音楽なのではないか。ジョンがヨーコだけに向けて書いた曲が世界に受け入れられたのと同じようなシステムが彼の曲には備わっているように思える。 ■どの曲も聞いていても、身体が自然に動いてしまうようなポップな体裁を身に纏っているが、とんでもなく高音で歌われるため一緒に口ずさむことは40歳以上には不可能。聞きながら読む歌詞カードに並ぶ言葉は時々宝石で、時々ナイフで、時々コーラ。取り憑かれたように彼の音楽に夢中になる人は本当にたくさんいるんだろうなって思う。 ■引き籠もりをやめて100sという名のバンドを組んで作り出した曲でも彼の高音は変わらない。観客の前でステージに立って演奏することによって、彼が感じた快感はどれほどのものだったんだろう。ただ僕がそのライブを聞いている仲間のひとりだったとしたら、すごく寂しい気持ちになったかもしれない。僕の方が他の誰よりも彼のことが好きなはずなのに、ってね。できればまた僕だけの中村君に戻って欲しいなんて思うのかもしれない。 中村一義を書く時は「私」より「僕」の方が相応しい。でも書いていてこれは相当恥ずかしくもある。 イーラ / 1,2,3 / ロザリオ / メロウ / スヌーズ・ラグ / ピーナッツ / ショートホープ / 威風堂々(Part1) / 威風堂々(Part2) / 虹の戦士 / ジュビリー・ジャム / ジュビリー / ゲルニカ / グレゴリオ / 君ノ声 / ハレルヤ / バイ・CDJ / ロックンロール / 21秒間の沈黙 / 素晴らしき世界 PS ■あの堺雅人君もマザー3をプレイしたそうだ。彼の感想もまた饒舌であるのだ。彼の微笑み顔あり、って何を宣伝したいんだ、私は、いや僕は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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