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カテゴリ:テレビ番組
音を楽しむ=(それが)音楽
■小学校6年生の生徒たちの前でわたしは小学46年生と自己紹介する矢野顕子。たしかにこの人には永遠の小学生の趣がある。彼女が彼らに与えた課題は自分にとってかけがえのない音をみつけるということ。 ■人前で話すのが苦手、わたしには教えることなんか何もない。そんなことを言いながら、今の気持ちはこんな感じと、用意されたピアノの前にすわって、それを弾き始めた時、そのメロディは言葉なんかを簡単に飛び越えてしまうような表現になってしまう。彼女のつくる音はそれだけで気持ちさえ伝えてしまえる万能の道具だ。 ■あっこちゃんは彼らを学校の様々な教室に連れて行く。保健室ではカーテンの閉まる音が、給食室ではキュウリやネギを刻む音が、校庭では雪を踏みしめる音、空を飛ぶ鳥の鳴き声が聞こえる。そうやって耳をすませば聞こえてくる音がきっとある。彼女が幼い頃から極度に視力が弱かったという話は今回初めて知ったことだ。たぶんこの人は耳から生まれてきたのかもしれない。 ■二日間の授業で子供たちはあらためて生活の音の大切さを確認することとなる。家族が帰ってきた時のドアの開く音、締まる音。家族みんなで食事をする時の食器のガチャガチャしたざわめき。そんな音がかけがえのないものだと発表する生徒たちの表情を見て、「ごはんができたよ」や「ラーメンたべたい」がどうやってできたのか、なんとなくわかるような気がした。 ■ナレーションは古田新太。この人の声にもなんとも言いがたい趣がある。そして今回わたしが最も印象に残った音は子供たちが話す津軽弁の朴訥としたリズムにあった。教えることは苦手だなんて言っていたくせに、最後に生徒たちに向かって話すあっこちゃんは堂々とした音楽教師の風情でもあった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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