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カテゴリ:音楽
01. ジャコビニ彗星の日
02. 影になって 03. 緑の町に舞い降りて 04. DESTINY 05. 丘の上の光 06. 悲しいほどお天気 07. 気ままな朝帰り 08. 水平線にグレナディン 09. 78 10. さまよいの果て波は寄せる ■久しぶりにレコードを引っぱり出して聴いてみたのであるが、このM1~M4までの流れを自分はいまだになんでこんなにはっきりと思い出すことができるのだろうかと唖然とする思いだ。それは懐かしいという感情とは少し違って、自分の心の中にあり続けるなんか得体の知れないものを言い当てられて半分呆れて降参した気持ちに近い。文字通り擦り切れるほど聴いたレコードはそのスクラッチノイズの入る場所さえもいまだに暗記している宝の音楽だ。 ■彼女自身の十代の終わりを描いた私小説的作品と言われる傑作だが、諦観にも似た時間の捉え方と感情を風景描写で抽出した技法が発表から30年経とうとした今でも全然古びていない。むしろ古くなって色褪せてしまったのはこちらの感受性の方で、日常にくたびれてしまったなれの果ての私は悲しいほど能天気でもある。 ■72年10月9日。そんなある特定のたった一日の記憶が今でも鮮明であるという印象は私にも確かにある。あの頃、自分にとって未知なものはそれこそ星の数だけあったし、何をするにも○×記念日と設定してしまえるだけの行動力も併せ持っていた。そしてもちろんあなたからの電話が少なくなっていくことに慣れてしまうことだって学んだ。うまくいくこともあればうまくいかないこともある。そうか、シベリアからも見えなかったんだ。ではしょうがないじゃないか、って自分を納得させることを知ったのもその頃だったかもしれない。 ■早朝の吉野屋における人間模様を活写した中島みゆき的なものに対抗してユーミンが提示した彼女らしさはミスタードーナツのアメリカンコーヒー。生卵まで入れて牛丼をかき込んだあとに残る満腹感とミルクも砂糖も入れず苦みさえも残らないコーヒーの後味の無さはそのまま両者の作品の印象に重なる。 ■イメージにこだわる彼女ならば、盛岡という雪の深い都市をロシア語みたいと一蹴する。雑誌をめくるような感覚で発せられたそんな独り言からは宮沢賢治的な土臭さは全く漂ってこない。 ■埃だらけの車に指で True Love と書いたのは、たぶんユーミン自身ではない。いつかは見返してやるつもりで、晴れてその時が来たのに、その日に限って安いサンダルを履いていたのもおそらく彼女ではない。むしろユーミンには男の車の助手席に乗ってそんな彼女を冷笑しているイメージが強い。 ■「悲しいほどお天気」と「昨晩お会いしましょう」は哲学的タイトルをもった傑作2枚でもある。常套句をすり替えることによって発生する違和感はあなたが私の思っていたような人だったわけではなかったことに気がついた時の記憶に似ている。自分にとって大切な人が死んでしまった翌朝だったとしても、世間はいつもと同じような顔して動き出しているのだという不条理に似ている感覚がそこにはある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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