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テーマ:サッカーあれこれ(19778)
カテゴリ:読書
■小松成美というライターの存在は中田英寿のイメージをプラスの面で補強するためだけにあって、その逆はない。次原悦子率いるサニーサイズアップという企業の戦略の中にあらかじめ組み込まれた書き手が彼を批判し貶めるような記事を書けるわけがない。
■そういうスタンス、そういうテーマとわかっていながら、今回もこの書籍を待望し、寝る間も惜しんで通読したのは、前作「鼓動」を読んで受けた感動と発見がずいぶんと影響している。彼が彼女にしか語らない部分、彼女にしか聞き出せない部分、もはや専属インタビューアーと化した小松成美を通してしか解読できない中田英寿の本音が聞きたかったからだ。 ■彼女の元に次原から中田引退が告げられたのは2006年の3月のことだったという。本戦まであと3ヶ月、彼自身最後になるワールドカップまでの彼の姿を書き残し、こちらがセットした場で定期的に彼の言葉を書き留めて欲しいという要望がよせられる。 ■ジーコはもちろん、チームメイトすらもその事は知らない。マスコミに万一そんな情報が洩れてしまったら、どんな取材攻勢が待っているかしれない。私たちだけが知っているという優越感と、私たちにしか彼を止められないという使命感と。いや、中田という男は一度口に出したことは絶対曲げない意地っ張りだということを一番良く知っているのも私たちだけだ。 ■例のオーストラリア戦・クロアチア戦・ブラジル戦に関する彼のコメントはある程度予想したとおりだった。この期に及んでも彼は自分の理想を体現するために躍起になっていた。そこには融合という意識の欠片もなく、自分の正しさを信じて疑わない孤立したアスリートの姿が浮き彫りにされる。 ■3度目のワールドカップで一番違っていたことは誰も彼をプールに落とすことなんか考えもしないという状況だったのではないか。日韓大会でそんな冗談の口火を切ったのは中山隊長だった。フランス大会で彼のサッカーに近づいていこうとしたのは名波と山口だった。そして年長の部類になってしまったドイツ大会で彼は自分からすすんで輪の中に入っていこうとは決してしなかった。 ■実は1997年から2006年までの代表戦のビデオは全部残してある。国立で前園の後釜として出場した加茂ジャパンのデビュー戦からカナリア色のユニフォームに飲み込まれてピッチに寝ころんだままだったブラジル戦まで。 ■そんなビデオを見返して気がつくことは、彼が審判の下す判定に一度たりとも文句を言わなかったということと、どんなにラフなプレイで削られても決して相手に対して嫌な顔ひとつ見せなかったことだ。必要以上に長くピッチに寝転がっている姿は結局一回も見たことがない。ブラジル戦の試合終了後のあのひとときを除いてはね。 ■印象に残っている試合は数多い。あえて三つ代表戦で選ぶとすれば、ジョホールバルでのイラン戦と、フランス大会におけるクロアチア戦、そして完敗に終わった中でも孤軍奮闘だったサンディニでのフランス戦をあげる。 ■インタビューの中で彼も語っていたようにこの人はチームプレイには本来適さない性格だと思う。それでも好きになってしまったスポーツがサッカーだったということが、成功への第一歩であり、間違いの始まりだったのかもしれない。 ■この10年の日本代表の進化の歴史は中田と共にあった。彼がすでに先のことを考えなくなってしまった時に、彼のことを最も評価してくれる監督が就任したことは運命の皮肉以外の何ものでもない。去年の8月以降の代表戦は録画して残していない。テープがたまり過ぎちゃって仕舞い場所が無くってさ、と周りの者には言うことにしている。 PS ■満を持しての刊行のタイミングも例の朝青龍問題でケチがついてしまった感がある。サニーサイドアップとしてはあの事の顛末も書き添えることができたら、ますます売り上げは上がったと思うし、事の真相もぜひ聞いてみたいところだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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