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テーマ:大河ドラマ『龍馬伝』(491)
カテゴリ:龍馬伝
■後にも先にもこれだけ広末を美しく見せた番組はないと思う。プログレッシブカメラの映像と凝りに凝った美術部の背景の力を借りて大友演出はこの女優をすごく儚く健気な和風美人に写し取った。要保存。
■その昔、女の子たちは魔法瓶(今ではもうそう呼ばないか)に自分の顔を写してヒロスエごっこをしていた。その卵型というか、ちょっと遠近感があやしくなるような独特ののっぺりとした印象がその頃の彼女の顔にはあった。 ■土佐編の彼女のテーマが可愛らしさだとしたら、この京都編では美しさを全面にアピール。髪形も微妙にグレードアップし着物の色もまたオトナ女のオーラ。ここにもまた人物デザイン担当柘植氏の技の冴えが見られる。 ■幕末の恋愛事情がどうなっていたのか知らないが、オトコはオンナにあんな風にオンナが言って欲しい事をさりげなく伝えることなんかできなかったと思うし、オンナもオトコがそうして欲しいように自分の胸に飛び込んでなんてくれなかったと思う。 ■彼ら(龍馬と加尾)の別れがすごく切なく悲劇的にさえ見えてしまうのは、ただ単に現代人の感傷に過ぎず、実際のところ幕末の男女にとってはそんなすれ違いなんか日常茶飯事だったのかもしれないし、失恋とか横恋慕とか忍ぶ恋なんていう語彙さえもなかったのではないか。 ■今回のもうひとりの主役は岡田以蔵役の佐藤健。第2部に入り、総髪にイメチェンして少し大人びた風貌に変化した彼だが、その内面が著しく未発達であるというギャップが悲しい。武市に認められたいという一心で短絡的に殺傷を繰り返す彼と、それを利用することを厭わない武市。 ■もしも仮に以蔵がその頃江戸にいたのなら、近藤ひきいる新選組の一番隊長になっていてもおかしくないとは言えないか。武市の狡猾なところは近藤や土方のようには自分の手を汚さないところのように思える。よって以蔵は突出した殺人兵器のように見えてしまうんだと思う。 ■その佐藤君の風貌を見て誰かに似ていると思ったら、傷だらけの天使の水谷豊だった。あのアキラが慕っていたアニキ分がショーケン(35年前の以蔵役)だと考えれば、なんか腑に落ちるものがある。 ■すっかり弥太郎はコメディリリーフ。わざわざあれだけのために顔を見せてくれなくても語り手だけを引き受ける回があってもいいのではないか。まあ、わたしは彼の嫁さんの登場シーンがあって嬉しいクチなのですがね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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