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カテゴリ:真田丸
■山田風太郎の人間臨終図鑑によれば、死に際の豊臣秀吉は織田信長の亡霊に早く地獄にやってこいと責めたてられ、それに許しを乞う秀吉がまるで引きずり出されるように夜具から這い出したとある。(徳間文庫版第2巻)
■その信長から譲り受けたという甲冑を彼の寝床に持ち運んだのは徳川家康。そして秀吉の枕元に立った亡霊は茶々の兄である万福丸。その少年もまた彼によって惨殺された何百人かのうちのひとりだ。そうか秀頼からすれば叔父にあたる人だったわけだね。 ■彼の枕元にあったのは綺麗な音のするナースコールと命をつなげる炎をともす燭台。さりげなくそれを吹き消したのが小早川秀秋だったり、手元にあったはずのベルを最後にいじっていたのが秀頼だったという見せ方が憎い。 ■もはや夢と現実の区別もつかない太閤に無理やり遺言を書きかえさせる家康陣営と三成陣営の攻防。当時弁護士資格を取得していた大名がその場にいれば、即違法行為却下となったであろうやりとりも残された者たちにとっては死活問題。それでもその行為を最終的に止めることができたのが寧さんだけだったというのはあまりに哀しくないか。 ■「秀頼を頼む」意識が戻れば誰彼構わずそればかり繰り返す秀吉が、治部に語った「家康を殺せ」と信繁に囁いた「治部を頼む」の二言が胸に沁みた。三成はその言葉を受けてにわか師匠昌幸に家康暗殺を頼み、信繁は今後その言葉を遺言代わりに背負って生きることになる(と思う)。 ■草刈正雄が縁側で百だか千だかという名の孫二人(もちろん今夜はパンパースではない)に語っていた桃太郎の話は終盤の出浦兄貴と藤岡弘、の戦いにリンクする。さしずめ犬が前者で、鬼は家康ではなくあの一生孫をあやすことなんかできそうもない顔が鬼ヶ島の髭面の舅だろう。 ■さすがに弱くなかった鬼に後ろから斬りつけられ昌幸の懐の中で目を閉じていった寺島進だが、当時の忍び通信では瀕死の重傷と報じられている。まあ、しばらくはキャストの名前から彼の名は消えるだろうが、終盤きっと復活はあると思う。しかも(今夜彼を陥れることとなった)信幸側の人間としてね。しかしキャストの名前といえば最初から佐助・藤井隆がピン扱いなのが不思議だ。たしかに良い仕事はしているのだろうが。 ■再び最初の人間臨終図鑑からの引用である。「八月十八日―陽暦九月十五日―午前二時、彼は死んだ。 辞世「露と落ち露と消えぬる我が身かな浪花のことは夢のまた夢」 これはおそらく他人の代作であろう。秀吉にはこれだけの歌は作れそうにない。またこんな歌を作る心理状態ではなかった。彼は生きながら地獄に堕ちていたのだ。(第2巻359ページ、六十一歳で死んだ人々より) そう、目を開けたまま絶命し、一筋右目から涙を流したという記述はおそらくどんな文献にもない。小日向さん堪能しました。ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/08/07 10:46:37 PM
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