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カテゴリ:真田丸
■長男坊、次男坊という視点でこの物語を見れば、大蔵卿の息子たちにしろ、真田信之の息子たちにしろ、どちらかと言えば、次男坊の方に血の気が多く、できる兄に対しての鬱憤を晴らすために何事かを起こそうという気分が歴史を動かしているようにも見える。
■実はその事はこの物語の主人公である真田昌幸の息子たちにも言えて、運命に逆らって生きているように見えるのは一見理知的にも冷静にも見える次男坊の方なのかもしれない。彼の本音の部分では徳川側について、生まれ故郷の上田の地で愛すべき人たちに囲まれのんびりと余生を過ごしていたかったのではないか。 ■淀も秀頼も(太閤の建てた)大坂城に固執しているわけではない。国替えして四国あたりなんて良いと思うわなんて言えてしまうのは秀吉に対するこの親子の気分なのかもしれない。それに比べ、むしろ大坂城にこだわっているのは信繁の方に見える。彼にとってのその場所とは書庫の匂いであり、茶室の名残であり、武器庫の冷たさであり、廊下の長さであり、庭の樹木であり、衝立の裏側である。そしてそこにいた様々な人たちとのやりとりの濃密な記憶なのである。 ■佐助が徳川家康の影武者を瞬殺したことは初耳だが、彼にとってそれよりも悔やまれるのはずっと片思いしていた彼女に瞬殺されたことの方だったろう。それにしても内野家康の憎々しさは影武者もろとも最終盤に入って益々磨きがかかって見える。老体を演じる運動神経と滑舌もまた役者魂ということなのだろう。 ■内通者有楽斎も信繁によって糾弾され二度の命乞いの末に大坂城から去ることになる。それでもこの後も豊臣情報が筒抜けなのはきっと妻も子供もなくしてしまった老人がまだこの城に残っているからなのかもしれない。ちなみに家康が読んでいた密書の送り主は「お」で有楽斎が書いた書状は「う」だったことが今回判明している。 ■残り2回、信繁、秀頼、淀君、五人衆の面々、千姫・・・、この人たちの末路は史実で誰もが知っている。しかし、それをどのようにして描いていくのかはテレビを見ている視聴者の誰にもわからない。三谷脚本の醍醐味は伏線回収の妙であり、適度な楽観主義の発散である。今回オーソドックスを貫いてきた作劇法に終盤どんなトリックを使ってくるのか、または使わないのか最後まで見極めたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/12/04 09:43:07 PM
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