1973542 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

所沢支部 税理士仲間のブログ

所沢支部 税理士仲間のブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Profile

所税仲間

所税仲間

Favorite Blog

金銀紫鯉幟、 里山… New! 龍の森さん

2025年 年金改正直前… 山田真哉さん

地域経済活性化を目… 清水武信さん
関根舜助のコラム★ … 関根舜助1940さん
税理士の仕事 ・・… 長野市の税理士さん
ダックスの気まぐれ… ダックス税理士さん
転職後30過ぎた日… mao1973さん
出前税理士の日常 youmeikさん
静岡市の税理士 酒… ふみ32828さん
名古屋の税理士壺内… 税理士ツボちゃんさん

Comments

こうほうぶちょうTT@ Re:戸籍謄本広域交付制度(04/05) 戸籍謄本広域交付制度、まだ、使ったこと…
こうほうぶちょうTT@ Re:4年ぶりですが(02/27) たった一日・・・ されど一日。 申告残…
リボンの騎士@ Re:定額減税やめて「ちょうだい」(02/17) 安西先生 このタイトルは、定額減税をや…
さいとう@ Re:切手(02/16) TTさん コメントありがとうございます。 …
こーほーぶちょーTT@ Re:切手(02/16) この干支切手私ももってます! 63円切手使…

Recent Posts

Category

Calendar

Archives

Headline News

2016.02.07
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
小保方晴子さんの「あの日」を 求めて いつもの本屋さんに向かった。

新刊書コーナーを探したが 見つけられない。

話題作コーナーにも回ったが 見つけられない。

「あれっ どこにあるの」 

書店員さんに 「小保方晴子さんの本はどこにありますか」と 聞くことなんかできる訳ありませんよね。

だって おじさんだもんね  変な目で 見られるのが オチなのですよ。

こうして 買えずに帰ってきた。情けないよなぁ・・・・




アマゾンで 買おうかな  でもねぇーーーー そこまでして読みたいとも思わないし。

ネットでは 

「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。」
で始まるという。

まだ若干 32歳だというのに この 台詞を吐くというのは なんとなく 悲しい。

なぜだか おじさんの 心をわしづかみするのである。




昔 「今まで生きてきた中で 一番幸せです」といった 14歳の 平泳ぎ金メダリストの岩崎恭子ちゃんがいたけれど。 

これって 結構好きです。

私も 今が一番幸せ です。 6◎歳(笑い)


別に 急いで 読むことはないから  BOOK―OFFまで 待つとしよう。

甘○大臣 のおじさんは 「あの日」に戻れるよ、と神様に言われたら、どの日を選ぶだろうか。

いろいろあって困るだろうな・・・・・・。





芥川龍之介の 短編集に「おぎん」という作品がある。

テーマは 棄教についてです。

遠藤周作の「沈黙」と 芥川龍之介の「おぎん」 

「沈黙」では 拷問に屈して 棄教したロドリゴ。 それに対して 拷問には屈せず 天国ではなく地獄に行きたい として棄教した 「おぎん」。

とても 対照的だ。



一神教の神は 他宗教を信ずるものは みな 地獄へ落ちると説いた。

水責や火責に遇っても、転ぶことのなかった「おぎん」は 火炙りの刑 と決定されるのです。 

遠藤周作は 拷問に苦しむ信者に 「神は なぜ 沈黙なさるのか」 と 問うていた。

大天使ガブリエルが降りてきて 「はらいそ(天国)の門 近づけり」と囁くのです。

これで ぜすす様やまりや様のお傍へ行けるのですよ。



火つけが 始まろうとした瞬間。

「わたしは おん教えを 捨てる事に致しました。」

「私は、はらいそ(天国)の門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり いんへる(地獄)の底へ、御両親の跡を追って参ります。」

キリスト教徒の皆さまには ここが 理解できないようですね。

『最後の審判』を下すのは 神のみなのだから。





5年ほど前に システィーナ礼拝堂で ミケランジェロが描いた『最後の審判』を見てきた。

キリストが死者を裁き 左側には天国へと昇天していく人々を 右側には地獄へと堕ちていく人々が描写されている。

「あの日」は 最後の審判の「その日」つまり神の裁きが告げられるときなのだろうか。

私だけ 天国に行きたいということは 欲望的ではないのか 悪魔的ではないのか

宗教の矛盾 なのです。 



日本に布教にやってきた フランシスコ・ザビエルは 神の愛の大きさを説くのですが 

信者から 

「天使の教えを知らず 先に亡くなった 父や母は なぜ 地獄にいるのですか」

「神はなぜ地獄にいる人を救うことができないのですか」

「神はなぜ悪人も一緒に造ったのですか」

などと質問され答えに窮していたようです。




日本には 浄土真宗 親鸞の教え が 日本的のように思います。

自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるというのです。

地獄に落ちても構いません という人のみに 極楽の道が開くのではないだろうか

これって 日本的ですね




自分だけ極楽に行きたいということは 浅ましい考えなのです。

「蜘蛛の糸」が教えています。


芥川龍之介は この「おん教えを 捨てる行為」は 恥ずべきことではないと 伝えたかったのではないでしょうか

「おぎん」は あの日に帰りたいとは 言っていないのです。

きっといつか 「救いの日」が 来るのだから。




「あの日に帰りたい」

私なんか あの日になんて 帰りたくもありません 子供には言えない バカなことばっかりしていたから。

私も 悪人なのです。

なんども なんども 税理士試験に 跳ね返され 苦労ばっかりだもの。 

今でも 時々 税理士試験の夢を見て うなされるのです。(笑い)

今現在が 一番なんだからと・・・思ってる。(笑い) 




実は 誕生日(2月4日)の前日 市役所から オレンジ色の封筒が 届いたのです。

これって ヤバクないですか。(笑い)

こちとら まだまだ 忙しく働いているというのに

ちょっと 忙しすぎるけれど。 

まぁ 元気で 働けるということは 「し・あ・わ・せ」 なのでしょう。



小椋佳は「私の履歴書」最終日に 未発表の歌「命は何時も生きようとしてる」を掲載していた。

生きていれば 誰にだって
 闇に包まれたり
 不運と言う 重い岩に
 圧(の)し掛かられたり
 そんな時も どんな時も
 命というものは
 人の意思の どうかを問わず
 生きようとしてる
 ……
 深い嘆き 抱く時も
 命というものは
 翳(かざ)す炎 絶やすことなく
 生きようとしてる
 
 予兆も無しに 訪れ来る
 揺蕩(たゆた)う運命に ただ
 幸運幸福
 約束はされない けど
 聴きましょう 命の声
 心の奥底で今
 生きましょうと
 生きてみましょうと
 響く歌声
 出来れば より善く
 より美しくと
 より美しくと



安西節雄







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.02.08 20:03:40
コメント(5) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.