738811 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

  徳島市 蔵本町 地福寺

  徳島市 蔵本町 地福寺

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

カテゴリ

バックナンバー

コメント新着

ハッシー@ 明日の地蔵講について 和尚様 いつもお世話になっております。…
蔵本 地福寺@ マイケルちんさんへ マイケルちんさんへ コメントありがとう…
蔵本 地福寺@ 奥谷雅之さんへ 奥谷雅之さんへ いつもありがとうござい…

フリーページ

プロフィール

蔵本 地福寺

蔵本 地福寺

2008年09月16日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
寺伝によると、開創は室町時代の永正年間(1504~1520)
眉山の北麓蛇谷(南佐古六番町)に、土地の豪族小倉佐助一族
により建立されました。

小倉氏は現在地福寺のある蔵本にあったといわれる蔵本城の城主で
したが、天文二十二年(1553)に城主の小倉美濃守が鑓場の戦いに
出陣するも武運なく三好氏に敗れました。

その後、慶長二年(1597)藩の政策により現在の地に移されました。
戦乱期の当時においては軍勢の宿泊所となり、徳島城の
西の防衛の拠点としての性格を持っていたと言われています。

明和五年(1786)の「名東名西麻植三群寺院御改に付約帳」には
「本寺京都大覚寺、東名東村地蔵寺、右同断、蔵本村地福寺。
右弐ケ寺往古建立に而年暦相知り不申候」とあり
阿波誌には「蔵本村にあり、また真言を修む」とある。
昭和五年の「寺院台帳」には開基不詳と雖第四世の僧増勢中興す。
第九世僧宥秀再興せり」とあります。

平成18年から20年にかけての墓地の整備において、
当院第九世といわれる延宝七年(1679)に遷化された
宥秀上人の墓地が確認されていますので350年前には
境内地が存在していたと考えられます。

江戸時代は現在は分離されている隣の八坂神社と一体になっており
天保期の古地図には、現在の八坂神社と地福寺の境内地が
「地福寺」として描かれています。

現在の本堂は宝暦十年(1760)に建立されました。
棟木には周囲2メートル以上ある松、柱にはツガが、
創建当時のまま残っており幾度かの改修を経て
現在も使われています。
近年では平成二十八年から二十九年にかけて
檀信徒の協力を得て平成の大改修が行われました。

本尊は地蔵菩薩。
脇持として不動明王、弘法大師像がある他に
明治の神仏分離の際に隣の八坂神社より移されたと言われる
牛頭天皇・薬師如来、縁故の寺院より移された阿弥陀如来
千手観音・弁財天・十二神将が祀られております。
本尊地蔵菩薩は寛政六年(1794)に蔵本村庄屋の斎藤吉右衛門
より奉納された宮殿に安置されています。

徳島大学医学部前の国道192号線沿いにある
巨大な石の鳥居は文化十一年(1814)の建立で
「地福寺現住圭州」と当院第二十五世の圭州師の
名前が刻まれています。

明治期になると神仏分離令により地福寺と八坂神社は
分けられましたが、加茂名小学校の分教場が置かれるなど
地域と結びついた菩提寺として現在に至っています

境内には池があり弁財天を祀っています。
この池はかつては、水が湧き出しており「蔵清水」と
呼ばれていました。
蔵本地区はもともと比較的水が豊富で、五メートルも掘れば
水が出ると言われておりましたが、近年は枯渇しています。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年01月09日 15時06分17秒
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.