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枕石's Shopping List
東急不動産だまし売り裁判
桐 田 詩 夜 葉 iza 林 田 力 市 民 司 カ イ ロ fan haya Shop SOHO 弁 護 士 危機 イザ 269 Tumblr Twitter 枕石の日記 [全1693件]
超高層に全部造り変える渋谷駅の再開発は時代遅れであり、渋谷の地盤沈下をもたらしかねない。それは推進企業の東急電鉄の街づくり思想の貧困さを示している。 第一に駅全体を全部造り変える開発方針は大量生産・大量破壊時代の遺物である。既存のものを活かすという発想が欠けている。解体される東急百貨店の建物などには建築家・坂倉準三の作品もある(「渋谷駅「全部造り変え」で超高層に」ケンプラッツ2012年2月1日)。東急グループの創業者・五島慶太が坂倉に渋谷総合計画の立案を依頼した東急電鉄にとっても歴史的価値のある建物群である。それを壊して造り変えるところに目先の金儲けのみという東急電鉄の貧困がある。 第二に超高層中心の開発は床面積増大を目指す経済優先の発想である。人口が減少する社会状況に逆行する。高齢者に優しくない超高層ビルは高齢化社会にも逆行する。 第三に生活者無視の思想である。全部造り変えの再開発は既存の生活者を追い出すものである。現実に東急不動産が取得した渋谷区桜丘町のビルでは暴力的な地上げが行われた。 第四に利用者無視の思想である。全部造り変えの再開発は工事を長期化させ、利用者の不便を増大させる。長期の工事期間中は訪問者の渋谷離れをもたらす。東急百貨店東横店も2013年4月以降に解体される。東急百貨店東横店の敷地は都市計画上、駅前広場などになることが決まっている。工事によって離れた客足は竣工後に戻ると考えているならば消費者軽視である。 http://www.hayariki.net/tokyu/
林田力は2012年1月28日に二子玉川ライズの住環境破壊を批判する住民団体・二子玉川の環境を守る会のニュースを配布した。受けとった方の中には瀬田に親戚がいる方がいる。「再開発のせいで穏やかな二子玉川が、すっかり変わってしまった」と嘆いていた。 東京都世田谷区の二子玉川ライズは超高層主体の開発が時代遅れの住環境破壊と住民らから批判されている。超高層マンション「二子玉川ライズ タワー&レジデンス」分譲では、販売時には工事も始まっていない二子玉川駅直結のぺデストリアンデッキをセールスポイントにして失笑された。東急電鉄・東急不動産の街づくり思想の貧困さが現れている。 二子玉川ライズの超高層ビルは称賛の念よりも嫌悪の情をかきたてる建築物であった。二子玉川ライズに行くと地獄があまり遠くない場所にあると思えてくる。触知できない翼がバサバサ鳴って、有害な羽ばたきによる風が顔に重く感じられる。腐敗する洞窟や納骨所から押し寄せる風を吸っているようであった。聴覚では捉えられない嘲笑や威嚇の咆哮が耳を満たし、汚らしい手が押し戻そうとしているようであった。 http://hayariki.net/futako4.htm
林田力の背後で「おい」と呼び声がした。東急不動産工作員であることは臭いで分かった。どのような臭いであるかは東急不動産工作員と接したことのある人物ならばわかるだろう。服装は高級品を身に付けていない地上げブローカーというようなチンピラ風である。 「林田力だな」 東急不動産工作員が言った。林田力を睨む充血した目からは、今にも血が噴き出しそうである。林田力は危険を感じた。彼はひるまず聞き返した。 「誰だ」 「こいつ、痛い目に遭いたいのか。この頃調子に乗ってやがる。もう少し静かにできないのか」 「東急不動産工作員め」 「この野郎、くたばってしまえ」 怒声と同時に東急不動産工作員の手と足が一斉に襲いかかる。 林田力も逃げずにやり合った。林田力は震えを抑えようとした。徐々に恐怖と絶望の波が引いていき、代わって新たな感情が湧き起こった。不正と戦ってやる。恐怖で一瞬、麻痺した頭脳が再び正常に機能し始めた。 http://hayariki.net/tokyu/ohimachi.html
東急リバブル・東急不動産の嘘は東急不動産だまし売り裁判で露見した。東急不動産の主張は重要な事実に関して大きな変遷があり、かつ、その変遷は従来の供述と矛盾する客観的事実の指摘を受けて生じていた。東急不動産の主張は、変化自在に変わる。言葉は重い。この重い言葉を軽々と翻す東急不動産には宅地建物取引業者の資格はない。 東急不動産は東急不動産だまし売り裁判を長引かせたい一心で時間稼ぎを繰り返した。東急不動産の主張は全て独自の見解に基づいて一方的に決定し、強弁することにより従わせるものであり、法治国家の下では断じて許されない行為である。東急不動産は不誠実な応訴態度を繰り返し、それに見合った報いを受けた。 今や東急不動産は堂々とした高みから突き落とされ、車道脇の側溝に転げ落ちた状態であった。東急不動産は首根っこを抑えられ、辱められ、悪行を暴かれて、正義の場に引きずり出された。一人の消費者の声が、ようやく聞き届けられた。誰かに聞き届けられることを願い、正義を求める大きな怒りの声が。 判決言い渡しは林田力の表情に初めて喜色が漲った瞬間である。林田力には紛れもない興奮に全身が包まれた。体の奥底から力強く湧き上がるものを感じた。血が体内の隅々にまで駆け巡り、幸福感が春の潮のように暖かく胸郭を満たした。この幸福感に比べれば日常生活の喜びなど些細なものであって、あくせくする価値もない。 これほど林田力が晴れやかな表情をしたことはなかった。真面目な表情をしている時には周囲の人々には近寄り難いとすら思われるほど暗く神秘的な顔が、この時には驚くほど明るく親しみやすくなった。 http://www.hayariki.net/109/
協議によって明らかになった東急不動産営業の特徴は対話ができないことである。東急不動産営業は、他者との対話ができない。いつも一方的に大上段に振りかぶり、言いっ放しになる。東急不動産営業にとって議論が通じない原因は、全て相手が論理的でない、妄想的と認識する。従って他者のせっかくの忠告にも耳を貸さない。 林田力にとっては我慢の要した協議であった。協議によって東急リバブル・東急不動産の約束無視が明らかになり、不誠実さが再確認された。これは売買契約取消しの正当性を一層強めた。屈辱感で林田力の心臓は激しい動悸を打ち、全身の血管が脈打って両手はギュッと拳を作っていた。 渋谷東急プラザからの帰途、東急リバブル東急不動産との折衝を開始して以来、お馴染みの屈辱感が林田力の内部に頭をもたげていた。打ちのめされた気分であった。独りになると余計にこたえた。いくら努力を重ねても心には悲憤が渦を巻くばかりであった。悲憤は林田力の内にいる獰猛な伴侶、怒りへと形を変えていった。その日は寒い日であったが、やみくもに街を歩き回った。走り出したくなる気持ちを抑えることが、どれほど困難なことであったかを覚えている。涙は止まらず、風に吹きさらされて顔は滅茶苦茶になった。 http://www.hayariki.net/tokyu/cre.htm
東急リバブル東急不動産に対しては、殊更工作する必要はなかった。事実を明らかにするだけで十分であった。林田力が唖然として鼻をつまむほど、東急リバブル東急不動産は腐臭に満ちており、小さな穴を開けただけで毒気が流れ出して周囲を窒息させそうであった。 事件番号を受け取った林田力は喜色を浮かべた。自らの手で運命を切り開くことができるからである。林田力は悪徳不動産業者に屑物件を押し付けられたままではいられなかった。東急リバブル・東急不動産の不誠実な対応に踏みつけられたままではいられなかった。 無価値の屑物件によって耐え難い毎日を強いられ、息をすることがやっとの生活に泣き寝入りするつもりはなかった。ただ生きるだけの人間にはなりたくなかった。自分の意思で行動せずにはいられなかった。これは己の矜持をかけた戦いであった。 林田力には東急不動産と闘う以外の選択肢は存在しなかった。運が味方をしてくれないかもしれない。時には全てを賭けなければならないかもしれない。それでも林田力は林田力の望むところに辿り着くまで耐えてみせると誓った。林田力の視線は真っ青な青空に吸い込まれていった。 提訴の翌日、林田力は子どもの頃から感じたことのない生気に満たされて目を覚ました。洲崎川緑道公園へジョギングに出かけると、思いのほか速く走ることができた。限界まで走りきったところで足を止め、腕立て伏せと腹筋運動を繰り返した。それでも余力が残っていた。 http://hayariki.net/109/109trial.htm
原子力発電はコストが高く、原発による発電が電気料金を高くする一因となっている。原発事故以前に原発は発電方法として非効率である。原発で生じるエネルギーの大半は発電ではなく、周辺の海を温めるために使われている。 これまで電力会社は地域独占が認められ、料金設定はコストから計算されていた。コストを高くすれば料金も高くできる仕組みになっており、高価な原発を導入し、原発推進に膨大な広告費を投入するインセンティブになっていた。 原発推進派には「原発反対派は電気を使うな」との暴論を主張する者がいるが、筋違いである。もし電力消費者として発電所を選択できるのであれば、喜んで原発以外の発電所を選択する。 原発推進派には原発反対派に代案の提示を要求する者がいるが、筋違いである。原発反対派は原発が問題であるから反対するだけであり、代案を提示しなければならない義務はない。政商と批判される孫正義のような自然エネルギー利権などに原発反対派が巻き込まれる必要はない。 原発反対派は最初の原発設置の時から一貫して反対してきた。自然エネルギーの研究を怠り、これまでひたすら原発を増やしてきたという経緯は反対派を無視して築かれてきたものである。既に原発が存在するから、それを前提にしろ、というのは既成事実の強引な押し付けである。 原発がなくても電力供給は困らない。東日本大震災直後に電力供給が逼迫したことは事実であるが、それは火力発電所も操業を停止したためである。火力発電所は迅速に復旧している。 計画停電は原発の必要性をアピールするための脅迫停電である。武蔵野市会議員が東京電力に停電対象からの除外を要請した武蔵野市が計画停電対象から除外されるなど計画停電は恣意的であった(林田力「武蔵野市を計画停電対象外とする不合理」)。 http://hayariki.net/atom.html 火力発電所は余力を持っている。原発優先の国策と出力調整が不得手という原発の欠点があるために火力発電所を休ませて原発で発電させた。そのために原発の発電量が3割を超える結果となったのであり、火力発電所で補うことは可能である。現実に2003年に東京電力の17基の原発がトラブル隠しによって全て停止した際も電気は供給された。 原発推進派は火力発電所依存に対して二酸化炭素の排出を持ち出す。しかし、これこそ本末転倒の議論である。放射性廃棄物の有害性は二酸化炭素の比ではない。環境を持ち出すならば原発こそ槍玉に挙げなければならない。 |一覧| |
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