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伊豆半島の三宅島の壬生家に伝わる「三宅記」の原文を載せたいと思います。 来週から、この原文を解読しながら話を進めて行きたいと考えています。
白浜大明神縁起(原文)「三 宅 記」
仰昔天竺に帝王ましましき。其王に八人の后有り。其の中に光生徳女とて妻愛の后有り。或時帝王彼の后に向い給いて仰せ有りけるは、我既に齢四十に餘ると雖も、未だ王子とて独りも無し。如何はせんとの給えば、后答させ給うは、我れ八日に生れぬれば、常ね常ねに薬師如来を信じ奉りぬ。此度も薬師へ願奉らむとて、薬師へ詣給いて、三七日籠り給うと雖も印し無し。去れどもかくては捨て難しとて、五七日籠り給いて深く願い給えば、五七日の夜寅の時斗りに、歳の齢六十斗り成る老僧の、黒き衣を着て、水亀とおぼしきを左の御手に持より給いて、仰せありけるは、此ころ願深かしと雖も、かつて與うべき子種とては無けれども、夜を重ね日を重ね願う心の深ければ、汝に是を與うとて金の笏を與へ給うて仰せありけるは、是は汝が願處の王子の命ながかるべき薬なりとて、亀なる水の水を竹の葉にて三度左の手に入給いて、又仰せありけるは、あながちに願う心の深きにより、止む事無くて與うと雖も、此の王子七歳の時こそあさましからめとて、かきけすように隠れ給いぬ。其時后大きに喜び給いて下向ありける。夫れより十二月に當りたる正月八日に、王子御誕生ありけり。 帝王大きに悦び給いて。いつきかしづき奉り、八日に生まれ給えばとて、一大薬師と申し奉りける。然る所に年月漸く重りて、此君七歳に成り給へる時、御母の后空く隠れ給いぬ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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