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子供と共に育つ "共育!!"

子供と共に育つ "共育!!"

★幸せになるための100問 モアイの答え

幸せになるために、まずあなた自身を知りましょう。

     ― そこからすべてが始まります。 ―

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★ 幸せになるための100の質問状
  ― 自分棚卸(self inventory)のススメ ―

毎号1問ずつ、
あなた自身を知るための質問が届きます。(^o^)丿      

 http://www.mag2.com/m/0000137773.htm
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No.1『あなたの名前の由来や意味を教えてください。』

努力の努
女の又に力
確かに努力することは好きです。

努は"ゆめ"とも読めます。
いいねえ。
はかない、という意味ですが。

お父さん、お母さん、いい名前を付けてくれて、ありがとう。


No.2『 あなたにとって、ご両親はどんな人ですか 』

親父:一生懸命働く姿を私たちに見せてくれた。
   本当にくそ忙しかったと思うけれど、泣き言も言わず、働いていた。

おふくろ:親父を立派な人だと私たちに示してくれた。
     明るく、一家の太陽そのものであった。

両親:私たちを信じて、一人旅に出してくれた。
   私たちを育ててくれて、ありがとう。


No.3『ひとことでいうと、あなたはどんな子供でしたか』

マイペースな子

人がどう思っているかなんて考えがなかったよ。
#今も思っていないが、・・・。(^^ゞ

皆が別々にいろいろなことを考えているということに氣が付いていなかった。
皆自分と同じことを考えていると思っていました。

グループを作るという事がなかった。
積極的に入れてもらおうとも思っていなかった。
はみ子にされているとも思っていなかった。

ちょっと鈍感だったかもしれない。
時代が良かったのかもしれない。
ちょっと変わっていたかもしれない。

何も考えていなかったのだと思います。
自分がなかったような気がする。


No.4『子供の頃好きだった遊びはなんですか 』

貯水池でのザリガニ取り
#かえる、おたまじゃくし、やご、ザリガニ、ゲンゴロウ、アメンボ、たがめ、・・・
#足がずぶずぶはまってぬけられられなーい、というスリルも楽しかった。

陶器山裏のグランドキャニオン探検
#本当の探検、という感じで楽しかった。

家の前でやる野球も好きでした。

野外の遊びばっかり。
探検が好きだな。
環境に恵まれていたということだ。

あの土地を当ててくれた、お母さん ありがとう。(^_^)


No.5『小学生の時の夢はなんですか?』

プロ野球選手になりたかった。

世間というものを全然わかったいなかったなあ。
長男なんか、しっかりしている。
"古生物学者になりたい。"という夢を応援してあげたい。
次男は何を考えているのだ。
とりあえず、野球はうまそうな気がする。


No.6『中学生の時の夢はなんですか?』

特になし。
さだまさしと中島みゆきを愛聴する。

クラブのお陰か毎日生きるので必死だったよ。

バイクに乗って旅をしたい。
とは思っていたなあ。

そう考えると、私の青春の基礎を作っていたとも思われる。


No.7『高校時代の夢はなんですか?』

砂漠の緑化
ミミズの研究をしたかった。

割と近視眼的に物事を捉え、大きな志が感じられない。
そのころはこのようなことを考えていたな。


No.8『いままでで最高の思い出をおしえてください』

別府大分毎日マラソンに出場、完走したこと。

人の河の流れにのって突っ走り、未だに5km、10kmのベストは
この大会のラップタイムです。

上のレベルがあるのだということに氣が付き、新しい世界を見る事ができました。

楽しかったよ。


No.9『今までで最低の思い出はなんですか 』

小学校の時
野球などで選手の取り合いをするのだけれど
人数が奇数で最後に
"いーるか、いらんか、じゃんけんホイ"
をして、勝った時に、
"いらん。"
と言っていました。

なんちゅうやっちゃ。


小学校の時、
#中学校、高校もそう変わらないが、

野球など、何で皆こんなにへたくそなのだろう、と思っていました。

自分と他人の区別が付いていなかった。
いろいろな人がいる、ということを全く知りませんでした。
大学にいって、軟式野球部の先輩に教えてもらって、初めて氣が付きました。
これだけでも大学に行ってよかったと思っています。


ありがとう、ありがとう。


No.10『あなたの職歴を教えてください』

自転車屋でママチャリ作りのバイト
・流れ作業で結構きつかった。
・社長を初め、障害を持った人が多かったけど、
 障害を持っていても特に生活に問題ないとわかった。

ガソリンスタンド
・店明け
・バイトがおわってから、だらだらいるのは得意ではなかった。

システム開発
・初め、訳がわからない
・体調を崩す
・間接部門に異動:開発のイロハ、業務知識の意味を知る。
・運用へ異動
・開発へ異動:がんばるべ。

日々勉強ですね。


No.11『一番がんばったエピソードをおしえてください 』

中学、高校6年間の陸上部生活かな。

訳もわからずに走っていましたが、
高校3年の時に初めて駅伝大会を走る事ができ、大阪で6位入賞!!
今となっては、心の拠り所です。


中学校の陸上部の練習より苦しいことって、なかなかないよ。
若い時にいい経験が出来たと思います。

親が"やめなさい。"って言っていなかったら、やめていたかもしれない。
#反抗期でしたからね。(^^ゞ
お母さん、ありがとう。


No.12『今までで、一番悔しかったことはなんですか 』

中学3年間、担任を受け持ってくれた先生が死んでしまったことかな。

いろいろと報告したかったなあ。


No.13『最も感動したことをおしえてください』

私がとったグランドキャニオンの写真が年賀はがきになって、私の手許に届いた時

泉州千亀利マラソンで11番になったとき。
速過ぎて、走っている間中雲の上を走っているようで信じがたい経験だった。

なんか自分のことばかりだな。


No.14『今までの人生で、ターニングポイントはいつでしたか 』

奄美大島で半年暮した事かな。

いや、18歳の春に北海道に一人旅したことかな。

会社を辞めたいと家族に相談した時もターニングポイントだったな。


No.15『やりたかったのに、やらなかったことはなんですか 』

思いついたらやっているような気がする。

やらなかったことは、やる必要がなかったこと。

そんなこと覚えていないよう。


No.16『10年前の自分になんと声をかけますか 』

10年前は26歳

がむしゃらにやっていたけど、何もわかっていなかったな。

"視野を広くして、いろいろなものから吸収しなさいよ。"

と声をかけます。


No.17『あの時言えなかった「ごめんなさい」を言ってください』

アラスカでオーロラを見るために泊まったペンションには絵葉書が
売っていませんでした。

町で鬼のように絵葉書を買っていた私は、
その人たちに少し高い値段で絵葉書を買ってもらいました。
安く売ってあげればよかったな、という気持ちが今もあります。


No.18『あなたの家の ”家訓 ”をおしえてください』

なにでしょう。

努力
徹底
誠実

かな、やっぱり。


No.19『障害に出会ったとき、あなたを支えたのは何でしたか』

私もあまり障害を感じずに育ってきました。

障害を感じたときに私を支えてくれたのは

家族(今の家庭+実家)だと思います。
感謝感謝



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