本の歴史20000年 改訂版
ブックトーク講座を見据えつつ、毎月演し物を替えてみようかとも思ったけれど、もう少し練ることが大事かともう1度同じテーマでやってみる。前回の記録も今更ながらアップしてみました(こちら)できればそちらを先にお読みください。 キイのクラスは小道具好きであるし、今日はフルに時間が使える。とはいえ運動会後でクラスはなんとなく気が抜けた感じ。それでも黒板に模造紙を貼っているうちからなんだろうと見てくれる子どもたち。しかし何の材料か、みんななんとか答えようとしつつ、でも口ごもっています。これ、という決め手にかけるよう。 模造紙の外、右側に、「いちばん新しいもの」として「紙」、左側に「いちばん古いもの」として「人間」と書く。喉から答えが出そうで出ない子もいたがもう一声がこなかったので、模造紙より上に書く。「本」。ああっと深くうなずく子、ふうっと息を吐き出す子。「人間を本にしちゃうの?」という質問が出たので、「人間書物」という呼び方をする、語り部の人のことだと説明。ちょっと安心した顔に。 2万年前といっても前回イメージが伝わりにくかったかと、今日はラスコーの壁画の写真を見せました。ところがここで大いに盛り上がりすぎ。「見たことあるー!」「牛!」授業じゃないんだからここまでしなくてもよかったのかなあ。 木簡の見本はやはり喰いつきがいい。前回「卒塔婆」のイメージがつかみにくい子が多かったようなので、今回までの間に読み漁った古代史の本の中から歌木簡が60センチ強、薬の処方箋を記した木簡が30センチ弱、とあったのを引用、子どもたちになじみの30センチ定規と頭の中で比較してもらう。 巻物、折り本、綴じ本と、特に最前列の男の子たちがいちいち「すげえ…」と見本に夢中。この子らは去年の「変身」でもこんな感じであったな。読みたい部分を見つけるのが大変だった巻物から検索自由な折り本への進化はビデオテープからDVDへの進化と同じくらいのフォーマット変更だったことも追加説明。 本は多少入れ替え・追加している。というのも前回は総記の0(図書館)と歴史の2(日本・中国)ばかりに注目していたのだけれど、今回は言語の8からも持ってきたので。市の図書館の本館でゼロをちびっこトイレに連れて行った時に、たまたま目の前が児童書のノンフィクションの言語棚で、これというタイトルがいくつも飛び込んできてくれたのだ。とりあえず金田一春彦の日本語百科シリーズから『世界の文字と日本の文字』(学研)をここに。 更にもっとくわしく知りたい人、自分でもやってみたい人にと、紙を自分で漉いてみる本、巻物を作って見る本、古代文字を書いてみる本を紹介。子どもたちのわくわく度合いがはねあがる。女の子はキャベツの葉からもできるという紙づくりレシピ本、男の子は暗号アイテムっぽいもの巻物や古代文字が気に入ったよう。あなただけの巻物・折り本づくり 新装版価格:2,100円(税込) 藪田夏秋 著 日貿出版社 後半の図書館の歴史編では、シュメール文明の絵や写真を見せながら、粘土板の本が現代でも次々に砂漠の地下深くから発見されていること、5000年も忘れ去られていた物語が解読されることで現代によみがえってきていることを『ギルガメシュ王ものがたり』(ルドミラ・ゼーマン,岩波書店)『ルガルバンダ王子の冒険』(キャシー・ヘンダソン,岩波書店)を例に説明。 それから4000年近く経って同じ地方で活躍したのがこれと、昨年の読書週間で大人気だった『シンドバッドの冒険』(斉藤洋,偕成社)を見せつつ、物語に出てくる王ハルン・アル・ラシードがほんとうに作った世界一の図書館のこと、シンドバッドが七つの旅から持ち帰った珍しい宝物はこの王さまに貢いでいたことを話し、そして彼が航海するときに必ず使った港、バスラを舞台にした絵本を紹介。『バスラの図書館員 イラクで本当にあった話』(ジャネット・ウィンター,晶文社)。3万冊の本を1冊ずつ全部、たった一人の女性司書が戦火から守り抜いたこと、しかしまだ平和が戻らないイラクの地で図書館再開のめどはつかず、彼女の静かな戦いは続いていることを話す。 そして世界中の図書館員が、世界中の子どもに本を届けたいと願い活動していること、そしてその一方で本を読みたいと切望しながらその機会を奪われたままになっている子どももたくさんいることを話し、別置してあったそういう子どもが主人公の絵本群をひとくくりで紹介、まとめとした。新日本出版社から昨年出た、本を愛する黒人の子どもたちが主人公の一連の作品群を含む。 次回はもう少し整理しようと思いつつ、せっかく歴史の授業が平安時代までいったのだから「枕草子」 で清少納言が中宮から最高級和紙を賜ったエピソード、「源氏物語」の登場人物たちが手紙にはリサイクル・ペーパーをうまく利用していたことなども入れたかったなと思ったり。また、前回は本を並べた台に一緒に置いていた原稿を、楽譜立てに置いてみた。どうしても下を向きがちになるのを防ぐためである。でも本を見せるのにはどうも邪魔。実施の練習がもう少し必要そうだ。