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悠愛家の21時からは、CATVによるホーム・シアター・タイム。 見終わるまでは、くだらない作品なのか、過去に見たことのある作品 だったのかが、わからない。( 笑い )
昨晩見た< インビクタス ・ 負けざる者たち >は、久し振りにいい 映画でした。内容は、南アフリカの建国の父と呼ばれている、ネルソン・ マンデラのヒューマン・ドキュメント。
マンデラは反アパルトヘイト運動により、国家に対する反逆罪として、 なんと27年間の長きにわたり、刑務所に収容されていたのでした。 釈放された後、アパルトヘイトを撤廃する方向へと南アフリカを導き、 1994年 8代大統領に就任。白人・黒人間の民族和解、協調政策を 進め、1999年に引退しました。
マンデラの自伝< 自由への長い道 >が出版された後、映画化される なら誰にマンデラの役をやって欲しいか?との記者の質問に対し、彼は モーガン・フリーマンの名前を挙げたそうです。モーガンはマンデラと 交渉し、自伝の映画権を獲得するとイーストウッドに監督を依頼し、この 映画が実現。1992年の< 許されざる者 >、2004年< ミリオン ダラー・ベイビー >に次ぐ、第三番目のパートナーシップとなりました。
ストーリーは、南アフリカ代表のラグビー・チーム< スプリング・ ボクス >を中心にして、展開していきます。なぜなら、ラグビーは 白人たちのスポーツ、アパルトヘイトの象徴として、多数を占める南アの 黒人の間では、非常に不人気なスポーツでした。それだからこそ、 ラグビーは白人と黒人の和解と団結の象徴となると、マンデラは考えた のでした。
ボクスの主将、フランソワ・ピナール ( マット・デイモン )を通じて チーム強化を図り、1995年ラグビーワールドカップ自国開催で、なんと 決勝戦まで勝ち進んだのです。決勝戦の相手は、ラグビーが国技で ある、ニュージーランドのオール・ブラックス。試合は時間内で決着 つかず、延長戦までもつれこみ、ドロップキックでボクスが勝つという、 なんとも感動的な結末。白人も黒人もこの勝利に狂気乱舞し、南アの 国歌を歌いながら街を練り歩くところに、マンデラの和解と団結の想い が具現化されたのでした。
27年も獄中に繋がれながら、マンデラの心が折れなかったのは、 英国の詩人ウイリアム・アーネスト・ヘンリーの詩、< インビクタス >
我が運命を決めるのは、我なり。 我が魂を制するのは、我なり。
を、座右の銘にしていたからであり、この映画のタイトルにもなった のです。27年間の獄中生活が、白人への敵意にはならず、 ( 憎しみからは、何も生まれない )として、和解と団結の道を推し 進めたマンデラの人間性、そしマデイバの愛称で国民の誰からも 愛された、国家指導者としての人徳に、ただただ感激した次第です。
スポーツは、国家団結そして国威発揚にもっとも適したもので、その中 でも< ONE FOR ALL, ALL FOR ONE > というラグビーの精神は、 マンデラの考えにまさに合致した球技。 みなさんがご存知のごとく、< 一人はみんなの為に、みんなは 一人の為に >は、もともとはアレクサンドル・デユマの< 三銃士 > の言葉です。長期間の人種対立を経て、融和と協調に基づく新しい国を 創設するとすれば、これほど相応しい言葉は他に、見つからないのでは ないでしょうか?!!!
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