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そうそう・・助っ人木場葉巳ノ進の話も、しなくちゃね・・
木場葉は若くして、越後新発田藩の家老となり、藩内を 仕切っていた。その新発田藩を揺るがしたのが、上杉謙信死後の 跡目争い。新発田藩は上杉景勝につき、勝利に多大な貢献。
しかし、戦後の恩賞は景勝出身の上田衆に厚く、新発田重家は これに大きな不満をもつ。そして藩主重家に謀反を進言し、 景勝に対する反乱を画策したのが、木場葉であった。
しかし、景勝の総攻撃の前に落城。 藩主重家は自害したものの、 ( 死んで花実が咲くものか・・・ ) と、木場葉は秘かに城を脱出し、死を逃れたのであった。
当時は、主君にならい殉死するのが、武士の世の恒。 元来がひねくれものであった木場葉は、 武士道とは生き抜いて、恥辱をはらしてこそ意味が あると、考えていた。
怖いもの知らずの木場葉は、悠愛に立ち会いを 申し込んだ。
の将来を考え、悠愛は相打ちとして剣をおさめた。 木場葉は自分が明らかに負けた事を、思い知らされた のだった。 全て出そうとする。 理論先行が故に攻めには強いが、守りがどうしても弱くなる。
この欠点を克服しなければ、オフェンス専門で終わってしまう。 スーパーボールに出場するような、オールラウンドのプレーヤー にはなれないと、悠愛は木場葉に助言したのであった。
江戸千葉道場の門を叩いた。 木場葉の足腰は強く、また論理的な思考力と冷静な 判断力は、門下生の間でも一目おかれていた。
道場全体を、仕切っていたのだった。
入っていた。 わからなかった。
驚かされた。しかも譲は、悠愛と恵美凛の子であると。
譲からの話では、師と仰いでいたあの悠愛が、トウデンに 命を奪われた由。木場葉故郷越後の、柏崎刈羽にも原発があり、 トウデンとは浅からぬ縁があった。
これも< 定められた運命 >というものかもしれない。
別れの杯を交わしていた。
二度と生きて戻ることもないであろう。 単に< 怨みの戦い >ではない。
< 義の戦い >なのだ。
尾を振りながら、何処までもついてくる。 これが、最後かもしれないと・・・・
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