学びの泉 ~五目スパゲティ定食~

学びの泉 ~五目スパゲティ定食~

第89号

2006. 6.16 ご登録読者数 1394名様

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☆トップクラスに入る勉強法! 第89号☆

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発 行:考える学習をすすめる会 http://kangaeru.org
                             
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す。もし、大きく学力を高め、成績を向上したいなら、勉強のやり
方を、覚える学習から「考える学習」に変えなくてはなりません。

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れることができます。執筆者は全員が10年以上のベテラン塾長です。
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関東甲信越地方は先週末に梅雨入りしましたが、信州は晴天続きで
雨があまり降りません。降りすぎるのも困りものですが、そろそろ
降ってくれないと農作物もピンチです。

もともと長野は年間降水量の少ない所です。雪国なのに1年を通し
てみると、県別でも県庁所在地別でもトップを争う少なさです。全
国平均のほぼ半分、最多の所の4分の1から3分の1しか降りませ
ん。

それでも夏に給水制限にならないのはアルプスのお蔭です。雪融け
水や湧き水で川の水量がいつも豊かなんですね。大自然に感謝です。

さて、言葉の意味を根本から理解するシリーズの第3弾、今回は7
世紀からです。



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<用語の意味を掘り下げる(その3:歴史(2))>

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1:「冠位十二階」

ご存知、聖徳太子が定めた位階制度です。豪族を序列化し、また氏
や姓にとらわれることなく優秀な人材を登用することを目指したも
のです。官位の任命を天皇が行うことにより、豪族に対する天皇の
権威向上を図る効果もあったようです。

今で言えば検定制度の級や段、あるいは免許、資格のようなもので
すね。今でも、ある特定の仕事に就くためにはこの資格が必要だと
か、級が上の資格を持った人に高い地位を与えるということがあり
ますね。役人を対象にそういう制度を整えたわけです。

「冠位」という通り、冠の色で位階を区別しました。上から紫、青、
赤、黄、白、黒の6色で、それぞれに濃淡があり濃い方が上位。す
なわち濃い紫が一番上で次が薄い紫、一番下が薄い黒ということに
なります。

さて、ここで謎が一つ。他の色はともかく、白の濃淡ってどうやっ
て見分けたのでしょう..。アイボリーとかグレーの要素が入って
いたのでしょうか。そうするとそれは濃い方?薄い方?...研究
者の間でも白については疑問視されているようです。

2:「大化の改新」

力を持ちすぎた豪族・蘇我氏の支配を排斥し、天皇を中心とする律
令制を作り直すために行われた一連の改革のことですね。中臣鎌足
と中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺した事件から含める説と、「改心の
詔」発布以降を指すとする説があります。

具体的な内容(「日本書紀」に記述)については教科書などにも載
っているので、ここでは言葉にこだわります。「大化」についてで
す。

これも日本書紀に記されていることですが、日本の元号の最初が
「大化」とされているのです。今の「平成」や「昭和」の始まりで
すね。

「大化」は「広大なる徳化」の略。「徳化」とは「人徳によって他
人によい影響を与え導くこと」。ついでに「徳」は「素直な本性
(良心)に基づいた行い」という意味です。もちろん天皇による政
治のことを言っているんですね。

元号はもともと中国で使われ出したものです。朝鮮やベトナムなど
にも広まりましたが、今では本家の中国でも西暦に統一され、独自
の元号が残っているのは日本、北朝鮮、中華民国くらいのものです。

日本では、江戸時代までは大きな出来事がある度に改元していまし
た。大きな災い(自然災害や病気の流行)が起きたときに、厄払い
の意味で元号を変えることが多かったようです。

特に室町時代までは2年から5年くらいで改元することが多く、
10年も続いているのは数えるほどしかありません。それが明治維
新のときに、天皇の代ごとに改元する中国式の制度に改められたの
です。「昭和」の64年はもちろん最長記録です。

大化の改新を初めとして、日本史の用語にはこの元号が付いたもの
が多いですね。大宝律令、承久の乱、建武の新政、応仁の乱、享保
の改革...。化政文化も「文化」「文政」という2つの元号を縮
めたものです。

いつ頃のことかを知るには西暦の方が便利ですが、元号もなかなか
味わいがあって捨てがたいものです。「701年律令」とか「1221年
の乱」では味気なくて、覚えるのも大変そうですね。

3:「律令制」

大化の改新で基盤が固められた政治制度です。これも中国の制度を
採り入れたもので、その大きな目的は中央集権国家を統治すること
でした。

「律」は「行い」+「筆」で、人間の行いの基準を筆で箇条書きに
する様子を表し、「秩序立った行いの決まり」を意味します。

「令」は人々を集めて神や君主の宣告を伝える様子を表し、神のお
告げや上位者の言いつけ、転じて「おきて」とか「決まり」の意味
になりました。

どちらも同じような意味ですが、「律令制」における「律」は今の
刑法で、これはほとんど唐のものと同じでした。「令」は日本に合
わせた形で作られ、行政組織や役人の服務規程、人民の租税・労役
など、国家を治めるための様々な条項を規定していました。

律令制では具体的には次の4つの制度が中心となっていました。
1)人民へ一律的に耕作地を班給する土地制度
               (日本では班田収受法)
2)個人を課税対象とする体系的な租税制度(租・庸・調)
3)人民に一律的に兵役が課せられる軍事制度
               (日本では防人が有名)
4)人民を把握するための地方行政制度(日本では国・郡・里制)

これらをもれなく実行するために、厳格な法体系が必要だったわけ
ですね。

律令国家は約3世紀続き、平安時代初期には王朝国家に変わります
が、律令の条文自体はその後も効力を保持し、中には明治維新まで
有効とされていたものもあるようです。

4:「公地公民」

律令制を支える大きな柱がこの「公地公民」という制度です。すべ
ての土地と人民は天皇に属するとした考え方ですね。農民は「公民」
として戸籍に登録され、口分田の支給を受ける一方、税などの重い
負担にあえぐことになりました。

「公(おおやけ)」という漢字は、もともとは「入り口を開いて公
開する、隠さずおおっぴらに筒抜けにして見せる」という意味です。
反対語は「私(わたくし)」ですね。こちらは「収穫物を細かく分
けて、自分の分だけを抱え込む」ことを指します。

一方「おおやけ」という日本語は「大+家」で大きい家のこと。そ
れが天皇の住居を指すようになり、次第に朝廷や政府、官庁という
意味に広がったようです。

今では個人を指す「私」に対して、「公」には国や政府だけでなく、
県や市などの地方公共団体まで含めることが多いですね。「私立」
高校に対する「公立」高校を考えるとわかりやすいかな?また、
「公」で広く社会、公共、世間などを表すこともあります。

ところで「公民」という言葉は、中3で学習する社会科にも登場し
ますね。こちらは「国政や地方公共団体の公務に参加する権利と義
務を持つ者」という意味です。律令制の「公民」とは大違いですね。
「公」を動かす人民になるために、しっかり勉強してください。

6:「壬申の乱」

672年に起きた日本古代の最大の内乱。天智天皇の子=大友皇子に
対し、天皇の弟=大海人皇子が反旗をひるがえし、勝利したのです。
大海人皇子は天武天皇となり、天皇中心の律令政治をさらに盤石な
ものにして行きます。

というのが事件のあらましですが、ここでは「壬申」に注目してく
ださい。これも「大化」のような元号でしょうか?...違います、
これは干支(えと)なのです。

皆さんがふつう「干支」という場合、「子(ね)」「丑(うし)」
「寅(とら)」...という十二支のことを指す場合が多いと思い
ますが、これは厳密には間違った用法です。「干支」は「十干十二
支」の略。十二支だけでは「支」にしかなりませんよ。

「十干」とは中国で生み出された考え方で、万物は木、火、土、金、
水から構成されているという「五行(ごぎょう)思想」にもとづい
ています。この5つのそれぞれに陰と陽の区別をつけ、合計10に
分けたのが「十干」です。

日本では陽を兄(え)、陰を弟(と)とし、たとえば「木の兄(き
のえ)」「木の弟(きのと)」などと呼びます。だから「えと」な
んですね。因みに「金の兄」「金の弟」は「かのえ」「かのと」と
読むので注意。あとは普通に訓読みすればOKです。

さらに「きのえ」には「甲」、「きのと」には「乙」というように
一字で表せる漢字が割り当てられています。この甲、乙、丙...
は今でもいろいろな階級や種類を表すときに用いられていますよ。

公的な資格には「甲種・乙種」などでレベルを分けているものがあ
り、焼酎には甲類と乙類があります。漢文の返り点にも「甲・乙・
丙」が登場します。昔は学校の成績もこれでつけていたんですよ。

さて、ここからが大切なところです。干支というのは、この十干と
十二支を組み合わせで暦を表したものなのです。最初の組み合わせ
は甲(きのえ)と子(ね)で「甲子(きのえね」、あとは「乙丑
(きのとうし)」、「丙寅(ひのえとら)」...と続きます。

これを暦の年や日に当てはめたのです。ふだん私たちは単に「子年」
とか「丑年」とか言っていますが、本当はその前に十干を付けた言
い方が正しいということです。因みに今年は「丙戌(ひのえいぬ)」
の年です。

これで「壬申」の意味も想像がついたかな?そう、これも干支なん
です。「壬申(みずのえさる)」の年に起きたのでこう呼ぶわけで
す。他にも「戊辰戦争」「甲午農民闘争」「辛亥革命」などがあり
ますね。野球の「甲子園球場」の名前の由来もそうですよ。

さて、十干と十二支の組み合わせではズレが出てきます。同じ組み
合わせに戻るには、10と12の最小公倍数の60年かかりますね。
だから60歳のお祝いを「還暦」と言うんです。「甲子改元」と言
って、甲子の年に戻ると元号を変えたことも多かったのです。

また長くなってしまいました。次回は平安時代から...。




   (執筆:エクセルゼミナール 小林良行…長野市稲葉日詰)


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